4.剪伐

作:宴屋六郎



0.

 毎日、てるてるぼうずをかざりました。
 さかさまにかざりました。
 そうすると雨がふってくれる気がしました。
 雨の日はおかあさんが家にいることがおおかったからです。
 雨がふるとおけしょうなおしがめんどうで、お洋服がぬれてしまうのがいやだったのでしょう。
 べつに、おかあさんに家にいてほしかったわけではありません。
 雨がふったところで、おかあさんのつれこんでくる男のひとがへるわけでもありませんでしたから。
 ただ、おかあさんが家にいるときは、しぜんと冷蔵庫が充実することがおおかったのです。
 そして、ふよういにお金をのこしていくこともあったのです。
 学校のほかの子たちみたいにおこづかいをもらえなかったあたしは、そうやってすこしずつためていかなければいけなかったのです。
 あくまでも、生きるために。
 でも、そんなにひつようではありませんでした。
 あたしは愛されてしました。
 同級生の子たちから愛されていました。
 男の子からも、女の子からも、愛されていました。
 女の子たちは、かわいい女の子とともだちでいたい親友でいたいと。
 男の子たちは、かわいい女の子と友達になりたい、カノジョとして所有したいと。
 自己顕示欲と性欲。
 あたしがそこに存在しているだけで、ちかよってきました。
 あたしは、イッパンテキに言って、とてもかわいい女の子だったからです。


失望奇譚集――憐曖奇談4
*******


1.

 一般的に言って可愛い女の子たちと食事をしているというのに会話が弾まない。弾ませる気もない。
 本来は自宅待機しなければならない事態なのだろうけれど。
 生徒の何割がそれに従っているのだろう。と考え始めると急に馬鹿馬鹿しくなってくるし、罪の意識も薄れてくるよね。いやまあ最初からそんなもの感じていないんだけど。
 伏見山観夕、波佐見愛思、霞霧子。
 選手登録ナンバー一番の観夕は非の打ち所がない美少女だし、愛思ちゃんも僕の趣味から大きく外れるとは言っても人によっては庇護欲を掻き立てられる可憐な少女だろう。二人と比べれば霞霧子は普通にすぎるが、健康的な魅力というのはなかなか得難いものだ。
 んでこの娘たちに相対するのは皆人累というイケてるメンズ、略してイケメン。この僕、陰気で暗く、冴えない冗句の隠居庵。
「…………」
 普段通りであれば霞と皆人だけを中心に話が弾むのだろう。観夕は無言を個性としているし、僕も人と会話するのが得意な方ではないので、二人を数えてはいけない。
 愛思ちゃんは――どちらかというと一人で騒ぐのが常なのでこの子も数にいれてはいけない。
 合計五名の高校生が昼間っからファストフード店に集まっている。これ以上に不健康で不健全なことがあろうか、いやないだろう。
 高校生にありがちな、猿みたいにうるさい集団というわけでもないけれど、誰もが押し黙っている状況は傍から見ても異常なのだろう。サラリーマンやOL、大学生といった客が時々目線を遣ってくる。
 だけれどさっき述べたように全員が沈んでいるというわけではない。霞と皆人は明らかに落ち込んでいるようだけれど、僕と観夕は平常運転だし、愛思ちゃんは一人でなんだか楽しそうにしている。
「……まあ、そりゃ、ねえ」
「…………」
 人間が一人死んだとなれば、普通の反応なのだろう。
 それが知り合いだと言うのなら尚更で。
 今日は大雨だった。外の通りに面した硝子窓には多くの雨が体当たりを続けていた。
 傘を差して登校したが、校門に到着するなり、生活指導担当の教師に、今日のところは帰れと言われてしまったのだった。雨天の中でも変わらずジャージ姿で後続の生徒たちを帰し続ける彼には敬意を表するけれども、そのままきた道を帰らされるのはなかなか癪ではあった。これだから体育の授業が好きになれないのだ。正々堂々全く関係のない恨みである。
 まあ今日が休みになるというのなら仕方ない。取り立てて帰ってやることがあるわけでもないけれど、本でも買って帰ろうかしらん。
 そんなところで皆人や霞と出くわしたのだった。
 皆人は「ちょっくらマックにでも寄ろうぜ」と言い、僕と、後からやってきた観夕を拉致せしめた。
 僕はこの学校閉鎖に関して何も知らなかったし知ろうとも思わなかったけれども、皆人と霞、それに愛思ちゃんが勝手に話してくれた。
 曰く、どうやら生徒が死んだらしいことと。
 死体の様子が『殺人』らしいこと。
 そして、当の被害者が我々家庭科部のメンバーであったらしいことだ。
 僕は「あとで事情聴取か何かあるかもなあ」などと真剣に面倒を憂えていたけれども、霞と皆人はショックを受けている様子だった。なんというか、表情が死んでいた。常日頃、鏡に写った僕がそんな顔をしている。仲間ができたぜ。冗句ですけども。
「先輩、死んじゃったって、ほんとう?」
 斯くして僕らはマックで早い昼食を摂っている。と言っても朝食から時間が経過していないので食欲があるわけでもない。昨日愛思ちゃんがこの店で頼んでいたものと同様のシェイクを注文した。各々それなりに食べるものを注文して席についたはいいものの、持て余しているようだった。
 観夕はもりもりポテト食べてるけど。
「まだ噂だろうよ。つっても、こういう時の噂ってのは大抵正解なんだよな……」
 霞と皆人は明らかに沈んでいる。いかんぞ、成長期の盛んな時期に食物を摂取せねば、将来大きな人間にはなれないぞ。
 なんつって。愛思ちゃんもハンバーガーとドリンクを頼んでいたが、食が進んでいるようには見えない。体のサイズから察するに少食だろうしなぁ。
 しかし昨日より若干元気があるように思えるのは気のせいだろうか。元気溌剌といった風に見える。無理やり楽しもうとしているのか?
 そうやって不安を振り払おうとしているのかもしれない。実に人間らしい行動と、心だ。《異常者》であることがわかった以上この娘を人間扱いするのは間違いなんだけどね。
 昨日の記憶に引かれて注文した、バニラシェイクが甘ったるい。さっさと消化しちまうか。
「ちゅるちゅる」
 することがないし考えるべきこともないので、意味のないランキングを創りだしてみる。世の人々は何かにつけランク付けが好きなようなので、僕もそれに倣ってみるとしよう。単なる暇つぶし、人間の真似事だ。
 あえてこの中で落ち込み度ランキングをつけるのなら霞がトップに立つだろうな。こう言うとフェミニストたちに囲んで棒で叩かれそうだけれど、女の子だから感受性が強いのかもしれない。観夕という反対の例が、目の前に存在するのでいまいち説得力に欠けるな、二十点。
 何度でも申し上げるが僕と観夕は普段通り。ご多分に漏れず、期待に添うわけでもなく期待を裏切るわけでもなく。
 いくら愛思ちゃんが元気であろうとも、霞に話を振ろうとも、会話は弾まない。霞は愛思ちゃんを避けるかのように、淡白な返事をするのみだった。
 そもそもこのグループは霞と皆人によって支えられているというか、二人が全てといったふうな集まりなので、彼らの気分が沈んだままであるのならば、静かに解散してしまうのが自然な流れであった。
 実際、このまま時が流れればそうなるのだろう。
 しかし今のところ二人が席を立とうとしないのは。
 ここまで考えて思い当たる節に、ようやくぶつかった。
 不安、だからか。成程。
 確かに学校という場は死から遠い。こんなに近くで死が薫ることは、ほとんど、ない。
 しかし先輩か。
 被害者、推定、先輩。
 顔が思い出せないんだよなぁ。誰だったっけ。先輩Aって不名誉な脳内ネーミングを実施したのは覚えてるんだけど彼に関する記憶が出てこない。歳かな?
 いっそ隠居しちまおうぜ、とか冗句を考えたけれども、自分の名字を被っていることを思い出し、恥ずかしくなる。名前ネタの自虐って面白くしづらいし恥ずかしいんだよな。
 閑話休題。
 各々口にしていたものがなくなったタイミングで、霞と皆人は席を立った。合わせて僕らも席を立つ。そのまま言葉少なに解散となった。
 僕としては、名前も思い出せない程度の人間に対し、思うところなどない。
 こう考えると、個人への感情の共有は思い出の共有がなければ不可能に近い、のかな。
 しかしながら僕の『お仕事』関係のせいで、多少は考えなければならない状況にある。想うことなどないが、思わなければならないのだ。
 動機は――まあほら、なんだ。正義のためとかそういうイイ感じのものにしておいてくれると助かる。
 僕は傘を差して、《サナトリウム》不夜市第二支部事務所へと向かった。
 後ろから無色透明のビニール傘がついてくる。観夕だ。半歩ほどの空間を保ったまま、歩いている。
 当然だ。僕らは教師から自宅待機を言いつけられているし、彼女の家は支部事務所なのだから。
 ここからそう遠くない場所に位置しているので、早めに訊ねておくことにする。
「殺した?」
「殺してない」
「だよねー」
 無論先輩Aのことなのだけれど、大方の予想通り彼女による犯行ではなかった。
 『仕事』の懸念はあるものの、《異常者》でなさそうな先輩Aを殺す理由が、伏見山観夕には存在しない。
 雨粒が傘に打ち付け、小さな水流となって零れ落ちていく。
「きみの仕事って結局何なんだ」
「内緒」
「だよねー」
 相変わらず進展なし。
 そして何かを考えるだけの材料も揃っていない。この世からいなくなったのが先輩Aってだけで、それが《異常者》によるものであるかどうかすら、未確定なのだから。
 ただ、まあ。
「穏やかじゃないわね、って感じはするよなぁ。痴情のもつれがあったとしても。高校生が、自分の学校内で、殺されているというイベント。それ自体がとてもレアな感じがするし」
 僕の物語においてその稀有さは、致命的だ。
 決定的で、確定的で、致命的。
 何かが起きていると、感じる。突然転入してきた観夕もそうだし、それに――。
「っとぉー。危うく通りすぎてしまうところでしたぜぃ」
 小汚い雑居ビル前に到着していた。雨に濡れた雑居ビルは、コンクリの色を濃くして、いつもより廃墟の趣を強くしていた。
 何をしているのだ、という視線を投げかけられている。主に観夕から。というか観夕しかいない。もともと人通りが少ない場所ではある。建物と建物の谷。薄暗い路地。
 いつも通りだ。
 いつものように階段を登り扉を開くとやはり、いつものようにみゃこさんが待ち構えていらっしゃった。
 いやそんな構えてたわけでもない。彼女は視線を寄越さないし。
 『伏し目がち』というよりも完全な伏し目のまま、みゃこさんこと、不夜市第二支部長美彌湖さんが、椅子に座しておられた。いつものように、ダイニングテーブルにノートパソコンが置かれている。
「……お疲れ様です……」
 勤め人の常套文句を、マフラーの向こう側からもぞもぞと進呈してくる彼女。僕と観夕の出勤風景というわけなのだけれど。
「まるでこうやって早引きしてくることがわかっていたかのような落ち着きぶりですね、みゃこさん」
 みゃこさんは黙して語らず。ただ、僅かに目を細めただけだった。
 想像に過ぎないけれど、この程度も知らずして支部長など務まらないものなのかもしれない。
「ロアクさんはどうしたのです?」
 この時間であれば眠っているところだろうか、などと予想を組み立てながら、世間話として訊ねてみた。
「……一週間ほど休暇を申請されたので、許可しておきました……ゆっくり休んでいただきたいものです……」
「あれ、そうなんですか。ではゆっくりと休んでいただきたいものですね。できれば、僕が生きてる間だけ」
 ロアクさんが休暇に入っているのは少し意外だった。仕事熱心で休暇を取らない男、というわけではないけれど、自宅で休んでいるのも似合わない人物だ。
 似合わないというか、休んでいるわけにはいかない理由があるんだよなぁ。報酬に――例の『パック』でももらったのだろうか。
 ああ、でも、そうか。《破壊魔》事件の時からだから、驚異の十四連勤を果たしたんだっけ。そりゃ休みたくもなるよな。
 加えて、鬱子さん案件。あの人が《異常者》であるロアクさんに対して容赦したり、特別報酬を与える姿は想像しづらい。熱烈な《異常者》嫌いだからな。
「……相変わらずお嫌いなのですか、ロアクさんのことが……」
「嫌いというわけじゃないんですけどね。公明正大、清く正しい上司であるみゃこさんに正直に打ち明けるのなら、ちょっとばかし苦手ではありますよ。理由はおわかりでしょうけれど」
 みゃこさんは僕のお世辞を聴かなかったことにしたようで、静かに「……第二支部では少ない殿方なのでお二人には仲良くしていただきたいものですね……」とつぶやいただけだった。
 彼の生き方が変わらない限りそれは無理だと思うし、今後変わることもないだろう。世界の物語を改変することはできても、己の物語を己で変えることなどできないのだから。
 しかし、なんにせよ。彼との再会がなかったのはラッキーで、彼の協力が得られないことはアンラッキーだ。
 彼がいるかいないかで難易度の変わる仕事もある、ということだ。
「……事件だそうですね……」
「お耳の早いことで。ひょっとして観夕から聞い……てるわけないか。観夕だものな」
 出勤早々自室に籠もった彼女がいないのをいいことに、失礼なことを言っている。
「……《サナトリウム》ですから……」
「こっちの世界に慣れすぎてしまったいせでその文句だけでほとんど全てのことが納得できてしまいそうで怖いですね。実際まあ、大抵のことはなんとかなってしまうんですけれども」
 大袈裟なことをしない限り。《サナトリウム》の利益になる限り。
「……傀儡を一人増やしましたしね……佐藤一郎さんはどうにも……その……出世の望みが薄いといいますか……」
「また哀れな人が増えてしまったのか」
 かわいそうな佐藤さん。葬儀のことと言い、彼は優しすぎる。確かに出世は難しいだろうなぁ。
「……現場のお写真、見ますか……」
「おや、本当に早いことで。それではちょっと拝見」
 答え終わる前に、みゃこさんは机の傍らに置かれていた紙袋を寄越してきた。
 袋を手の上で返すと、十枚ほどのカラー写真が飛び出てくる。きちんと現像したものではなく、支部の事務所のプリンターで印刷したものらしい。とはいえ一応写真用紙を用いているので、割と綺麗だ。技術の進歩って素晴らしい。機械の苦手な僕には縁のない話だから冗句にしかならない。
 むしろデジタルデバイスを使いこなせない僕のために印刷されている可能性に気づいてしまってさあ大変。冗句じゃないっぽいから二重に大変。
 などという冗句を頭の中で繰り広げながら猟奇写真の衝撃に耐える。これも冗句。衝撃なんかで壊れてしまう精神を持ち合わせていたらこんなところまで来ていないし、むしろ壊れる精神であって欲しかった。
「公立高等学校内で起こったにしては猟奇的すぎる殺人現場だとは思いませんか」
「……異常でしょう……」
 僕の言葉をみゃこさんが肯定する。
「バラバラ殺人事件、とでも言えばいいのでしょうかね。なんというか、その定義からはみ出してしまう気がするんですが」
 上と下で分かれている。
 なんというか、どこかで見たことがある。既視感。
 ああ、まな板の上の魚みたいな。マグロ解体ショーみたいな。デジャヴの正体は判明した。
 ただし男子高校生で実演されているんだけど。
 ちょうどへその辺りですっぱり分かれてしまった上半身と下半身。
 上半身の馬鹿! もう知らない! こんな感じの喧嘩別れでもしたのだろうか。
 それだけでも十分に猟奇的であるというのにも関わらず、犯人は満足しなかったようだ。どこから持ってきたのか、一メートルくらいの竹尺が二本。切断された面に突き刺さっている。人体アートでもやってみたかったのだろうか。上に一本、下に一本。ペアルックかな?
 猟奇的アクセサリーの出元はわからないけれど、そこが社会化資料室であることはわかった。家庭科室の隣の部屋だったっけ。ふうん、へえん、ほおん。
「なんつーか、変な死体」
「……そう思われます……?」
「ええ、なんだろうな。断面が綺麗すぎる」
 何を使えばこんなにすっぱり綺麗に切断できるのだろうか。
「みゃこさん、この竹尺、全体がわかるお写真はお持ちですか?」
「……ございませんね……呼び出してみます……」しかしデータベースにはなかったらしく、「……今晩か、明日くらいには……」とのことだった。
「僕が来て、ようやく調査開始ですかな?」
 冗句を混ぜてみたところ、みゃこさんは薄く笑みを湛えた。
「……いいえ、庵さん……既に始まっていますよ……警察の方々も被害者から他人の体液を見つけてしまったようですし……どうやらその……青年の前で言うには少し恥ずかしいのですが自慰、あるいは性行為をしていた、可能性があるようでして……」
 先輩、盛ってたのか。知りたくなかったぜ。
「へえ。ではそのうち勝手に解決しちゃいますね。僕が動く必要はないのですかね。ないしょないしょ、ないしょのしょの観夕の件と同様に、僕は仕事をする必要がないのですか」
「……勝手に動くのは自由ですよ……」
 ふむ。冗句と判じていいものだろうか。
 深遠なる命題に対して取り組んでいると、電子合成されたベルの音が室内に鳴り響いた。
 僕の携帯電話――スマートフォン。画面に表示されている電話番号に見覚えはなく、電話帳への登録もなされていない。
 非通知でないことから、悪質な業者ではないだろうけれど。まあいいや、出ちゃえ。
 怠惰に、流れで。僕は通話ボタンをタッチした。
「もしもし」
「もっしもし! せんぱい! あたしです!」
 耳が。
 きぃんと鳴っている。
「愛思ちゃん」
「はい! 波佐見! 愛思でっす!」
 どうして電話番号を知っているのだろうか、という疑問は後輩の勢いとテンションの高さにかき消されて流れていってしまった。
 殺人事件不安から動転しているのか、それとも単に異性との電話に慣れておらず緊張しているのか、内容は支離滅裂とまでは言わないものの、ぐっちゃぐちゃだった。
 かろうじて聞き取れる内容を僕のできる限りにまとめていくと。
 つまり、波佐見愛思は僕と一緒に遊園地で遊びたいということらしかった。そのために、明日買い出しに行きませんか、という二重のお誘いでもあった。
 僕は少しだけ考え、そして。
「いいよ。明日、放課後会おう」
「やったぁぁあああああああ!」
 何をそんなに喜ぶことがあるのか。
 しかもお礼の言葉でもあるのかと思っていたら、そのまま通話は切れてしまった。喜びのあまり手が滑ったかのような音が聞こえたが、それは自意識過剰というものだ。
 遊園地、遊園地ね。
 あれくらいの年頃の女の子でも楽しいのだろうか。むしろ愛思だからこそ、遊園地に行きたがるのかもしれない。あの少女と言って差支えのない娘は、遊園地がとても似合っている。想像しやすい。
 何故僕を選んだのかは謎すぎるけれども、一人で行くようなものではないしな。皆人や霞と行くには、彼らのテンションが低すぎる上に、回復まで時間がかかるだろうことは誰の目にも明らかだ。あの中で消去法で僕が残ったのかもしれないと考えると納得がいく。それなら家庭科部と関係ない同級生の男子でも誘えばいいのに。あの元気溌剌純真無垢な娘なら、断られることもそうそうあるまいに。
 なんつってな。冗句ということにしておこう。何がとは言わないが。
 僕は目を瞑った。
 考えるべきことはもう考え終えてしまった。あとは確認のようなもので。
 文庫本についてくるあとがきのようなものだ。蛇足蛇足。


2.

「……こういった写真をデータとして送信するわけにはいきませんし……買い物が終わった後にでも来ていただければと……」
「助かります。みゃこさんの優しさと寛大さは琵琶湖より大きく深いですね」
「……素敵な冗句をありがとうございます……」
 携帯を耳から離すと、眼前には愛思ちゃんの心配そうな顔があった。口にはバニラソフトクリーム。学校からさほど遠くないショッピングモールのフードコートなのだけれど、華の女子高校生としての自覚がないのかね、きみは。
 今日は水曜日。雨が降っていても、ショッピングにはあまり関係ない。
「女の人です?」
「色の香る大人の女性、って感じかな」
「ひええ!」
 平日の真っ昼間という人気の少ない時間帯にぶちかます冗句。
 そうそう、結局翌日も自宅待機は解除されなかった。警察屋さんが粘っているのだろう。お努めご苦労様であります。
 だから約束の時間を早めて、僕らは昼から買い出しに訪れていた。後輩の傍らの椅子には、生鮮食品売り場で購入した諸々の食材が佇んでいる。
「せんぱいはとんでもない女の人とお知り合いなのですねー」
 とんでもないだろうか。一般人から見ればとんでもないかもしれないけれど、あれはあれでいい人だ。というか、忘れそうになるけれどもこの愛思ちゃんもまた《異常者》なのだから一般人と一緒にしてはいけないか。
「うぇーへへー。アイスおいしいー! あまーい!」
「そりゃまあ、良かった。僕でも食べられる控えめな甘さで、嫌いじゃない」
 僕が会って気付かなかった《異常者》というのはそう多くない。この娘もぱっと見は全く異常な素振りを見せてはいな……いか? 本当に?
 いや毎日のように見せられている、ハイテンションな様子と勢いは『全く異常でない』と断じるには難しいけれど、普段目にしている観夕や、あいつや、僕のような、逸脱した印象は、この娘から見受けられない。
 時折、隠すのが上手な《異常者》というのは出てくるけれど――この娘においては隠しているような様子がない。
 そういう性質の物語なのだろうか。
「せんせーとかいらっしゃらないんですかねえー!」
「先生?」
 と言葉を形成したところで愛思ちゃんが何を言いたいのか理解した。試験期間中の早引けのように、どこかで生徒が遊んでいないか巡回する教師がいないか、ということだろう。
「校内の殺人事件で積極性は失われたみたいだね」
 このようなフードコートには誰か――体育会系の某――が張っていそうなものだったけれど、しかしその姿はどこにもなかった。生徒にとっては好都合だ。先輩Aと関わりのない大多数にとっては、これはボーナス休日に等しい。ここぞと言わんばかりに遊びに繰り出しているだろう。
 想定外の休日による皺寄せが後々訪れることも忘れて。
 ……なーんて、ショッピングに出かけた僕が言えたことではないか。各々冗句に変換しておくこと。
「えっへっへっへっへ……」
 およそ同級生や学友とは話題にしないであろう言葉、ショッピング中に取り上げない話題を取り上げても、愛思ちゃんの笑顔は変わらない。最初からずっとこんな調子だ。妙ににやけている。
 簡潔に表現するならば、『楽しそう』という言葉がもっとも相応しいか。
 女の子は買い物が好きだからかな。こんなテンションのままだと毎日のように買い物を行う主婦の方々は大変だろう。
 我が家の母親はどうだったかな。もう覚えてないや。ということにしておくのが緩やかな平和への歩みになるのだよ。
「次は何に財布の英世さんを旅立たせるんだったかな、愛思ちゃん」
「ふぁあい! 次は! ですね!」
 そのテンションは買い物が終わるまでとどまるところを知らなかった。買い物を終えて別れたあとも、とどまったかどうか。
 携帯を取り出して時間を確認。そろそろラグビー部員たちが夕陽に向かって走りだす頃合い。
 僕は支部へと歩を向けた。休暇を申請しているというのなら、ロアクさんとの遭遇を恐れる必要はない。好き好んで訪れたい場所でもないけれど、写真の件がある。
 見慣れた事務所に入室しても、やはりロアクさんはいなかった。安心できることだ。
 が。
 しかし。
 それよりも。
 もっと厄介な地雷と対面してしまった。
「元気に生きていたか、隠居庵」
 落胆の色を孕んだ声。
 リビングの扉を開けた先に。
 直立不動。
 外国人かよというくらい背の高い女性。
 かっちり着込んだ、濃茶のピンストライプスーツ。
 深い深い血色に染めた髪。
 背広姿の悪魔。
「……鬱子さん」
 ちゃっ。
 言い終わる前、というか、『う』と発音した瞬間に、懐から拳銃――ベレッタが引き抜かれ、眼前に銃口があった。
「名前で呼ぶなと以前に言ったはずだが。理由を知りたいのなら《異常者》に呼ばれると虫唾が走ると答えておこう」
「失礼しました、六分儀主任」
「及第点。できれば私のことは主任とだけ呼ぶこと。苗字でも気持ち悪い。それに、隠居庵とはこのやりとりを何度も繰り返している。嫌がらせか、あるいは自殺志願か」
 そう言いつつ、物騒な凶器を仕舞ってくれた。
 いやあ、好きな子にはちょっかいを出したくなるのはいいけど冷や汗までかいてしまうのはとても良くない。
「六分儀主任と遭遇するのは久しぶりの偶然ですね。この出会いに乾杯」
「偶然ではない。美彌湖支部長から留守を預かった」
 みゃこさん。
 なんて人にお留守番させてるんだ。
「お前にこれを渡したら本社に戻る」
「写真、ですか」
 手渡されたのは封筒。例の事件に関するもの。昨日要請したもの、だ。
 いや、だから。
 なんてことに鬱子さんを使い走っているんだ。
 六分儀鬱子主任は、《サナトリウム》最高の戦力であり、吉原遊女院長の右腕なのだ。
 立場だけを見れば僕と彼女の高低差は天と地ほどにも開いている。
 決して言葉にはしなかったけれど、「この場で見ろ」という雰囲気を放っていたので開封して中身を検める。
 中に入っていたのは竹尺の写真。どす黒い赤に染まった竹尺が二本、白い布の上に並べられている。警察さんが撮影したものだろうか。
 死体の腹と胸の断面に、ぶち込まれていたのを、引き抜いて。
 二枚目は竹尺が拡大されたもの。特に中央に関心を寄せているようだ。
 血液で汚れているため確認しづらいけれど、よく見ると中央に小さな穴が開いている。竹尺本来の姿ではなく、誰かが加工したもののように見える。何かを差し込む穴、か。
 三枚目四枚目とめくり、確認。うん、おっけい。
 目的のものは見つかったのでおっけい。
 写真を封筒に戻した。
「わかったのか?」
 鬱子さんはこの事件について把握しているのだろうか。きっとしているんだろうな。この人が知らないわけがない。
「ええ、わかりました。誰がどうやったのかもわかりました。でも、わからないんです。どうしてそうしたのかが、わからない。わからなくて、気持ち悪い」
「はあ、そうか」溜息のようなものを吐き出したものの、しかし鉄面皮のまま彼女は続ける。「あとは隠居庵に任せる。私が留守にしている間に一人でも多くの《異常者》を減らせ。いいな」
「荷が重たすぎるんですけれど」
 六分儀鬱子の肩に乗っているもの、一欠片。僕の背中に落としてしまえば、間断なく僕は地面に倒れ伏し、押しつぶされて死んでしまうだろう。
「重みに耐えかねて死ね」
 相変わらず激しいお人だ。
 しかもこの言葉を吐き出す瞬間だけはポーカーフェイスを解除して憎悪を剥き出しにしている。器用な女性だった。
「何も質問がなければ帰る」
「じゃあひとつだけいいですか」
「……なんだ」
 まるで本当に質問が来るとは思っていなかった。そんな風に眉根を寄せた。
「人はどうして人を殺すのでしょう」
「そんなに殺されたいか?」
「いえ、真面目に。今回の事件に関する話なので、少しだけご講釈いただけるとありがたいのですけれど」
「…………」
 沈黙。
 顎に手を当て考えこむ六分儀鬱子主任。すらりとした体つきなので、大抵のポーズはばっちりと決まってしまう。
 みゃこさんもみゃこさんだけれど、僕もなんてことやらせてるんだろう。しかしここで冷静になってはいけないのだ。勢いというものが大事なのだ。多分。
「お前は私を糾弾しているのか?」
「滅相もない。そもそも、僕にはあなたを糾弾するだけの資格がない」
 直接的にぶっ殺しまくってる鬱子さん。
 間接的にぶっ殺しまくってる隠居庵。
 実力と立場は違えど、やっていることは大差ない。
「ケース・バイ・ケース、人の環境と事情によりけりだが、強いて言うなら」
 鬱子さんの言葉に迷いはない。
「人は必要に駆られるから殺すのだ」
「必要ですか」
 殺人の、必要。
 必要とされる行動が、殺人。
「お前も私も必要があれば殺すし、殺している。《サナトリウム》が必要とするから《異常者》を――連中はヒトじゃないが――時には敵対するヒトを殺す」
「《異常者》でない人たちも、必要だから殺すんですかね……」
「むしろ不必要なのに殺すのは《異常者》くらいなものだろうさ。怨恨も、痴情のもつれも。人間には判断する能力が備わっている。それがいくら鈍ったとしても、その能力が必要だと判断したから殺人に手を染めるんじゃないか」
「では、主任は」
 あなたの殺人は全て必要だったのですか。
「最初から決まっている」
 でしょうね。
 《異常者》の殲滅に身も心も捧げた女。
 それが六分儀鬱子という人間なのだから。
 《サナトリウム》が、吉原遊女が判断すれば、全人類の虐殺にだって手を染めるだろう。
 それが《異常者》を殺すことに繋がるのであれば。
「質問は以上か?」
「ええ、ありがとうございます、鬱子さん。大変助かりました」
「名前で呼ぶな殺すぞ……それでは本社に戻ることにする。最近は部下の面倒を見ることになって大変なんだ。あまり私の手を煩わせるな。己の思考をまとめるために私を使ったことは、非常に不愉快ではあるが見逃してやる」
 バレテーラ。
 やっぱり見抜かれているというか敵わないというか。いや《サナトリウム》で僕が敵う女性なんてひとりとしていないけどさ。
 鬱子さんは静かに立ち去っていった。別れの言葉などない。僕にかける言葉などないのだ。
 また仕事なんだろうな。相変わらず忙しい人で、それが嬉しそうな人だ。去り際の背中ですらかっこいいのだから、男の僕は立つ瀬がない。
 別にかっこよくありたいとは思わないけど。
 しかし、まあ。
「必要に駆られて殺す、ね」
 やっぱそうだよね。


3.

 夜になってみゃこさんにお食事に誘ってもらったので奢ってもらって(相変わらず僕は格好悪い)。
 自分の部屋まで帰ることにした。
 回らないお寿司を食べたけれどもお魚って生のままでもあんなに美味しくできるのですね……。
 おいくら万円のお支払いだったのかは知りたくない。
 店先で別れ、路地を歩く。
 橙色の灯り。アスファルトから生え茂った街灯が、薄く光の根を張っている。
 街灯の色を橙色から青色に変えたら犯罪が減ったとかそんな話を思い出す。
 青色防犯灯だったっけ。あたたかみのないその色が犯罪を減らしてくれるようには思えないけれど、しかし確かに、この橙色は目とココロに優しくない。
 まるで、逢魔ヶ刻のようで。
 何かに出会いそうな気配を纏っているようで。
 これまでの勘で、なんとなく《異常者》と出会えてしまいそうな気がしてしまう。
 まあ、なんというか。
 勘はあてにならない。
 特に僕みたいなふらふらした奴の勘は。
 実際に現れたのは普通の人間だったし。
 彼はとても平々凡々、それこそアベレージにアベレージをかけてアベレージで割ったようなニンゲンだった。
 佐藤一郎さんだった。
「こんばんは、佐藤さん。お久しぶりですね。お元気にしていらっしゃいましたか」
 前方、横道の影。ぬるりと這い出てきた佐藤一郎氏は刑事である。
 警察屋さんである。
 主に殺人と暴行を取り扱う捜査第一課である。
 だから。
 回転式拳銃を所持していたとしても不思議なことはないし。
 それを僕に向けていても何の不思議もないのだ。
 たとえそれが、警察の規範から外れているとしても。
「僕が知らない間に抵抗を想定され得る犯人として選ばれているのなら、拳銃を向けられても何ら不思議はないわけだ」
 本日二度目である。日本はいつからこんなに拳銃の携帯が容易な国になったんだか。おじちゃんは嘆かわしいよ。ひぇっひぇっひぇっ。
 佐藤さんは沈黙している。両手で拳銃を支え、僕の胸に銃口を向けたまま、黙りこんでいる。
 僕は動けない。引き金に指をかけてはいないものの、二秒くらいあれば僕を撃ち抜けてしまうだろう。
「隠居さん――晦日くんを、殺しましたね?」
 晦日という名前を聞いて、誰のことか思い出すのにたっぷり十秒はかかった。
 《破壊魔》のお話。もう終わった話。もう閉じた物語。
「殺してないですよ」
 だってとどめを刺したのは《殺人鬼》である観夕だし。
 直接的には僕が殺したわけではない。
「でもあなたが関わって、彼は死んだ」
 それは正解だ。
 僕が関わらなかったらもっと沢山の人が壊されてただろうけど。
 ああ、いや。
 僕が、ってのは違うか。
 隠居庵という《異常者》がいなくても、《サナトリウム》は止めていただろう。
 だからそういう意味でも、僕は殺していない。殺してるけど、殺してない。殺してないけど、殺してる。
「佐藤さんだって殺されかけたじゃないですか。忘れました? あのファミレスでのこととか。あんなに熱い夜を二人で過ごしたじゃないですか。冷や汗が止まらなかったけど」
「殺す必要はなかった! 逮捕なら更生もでき」
「ませんねえ。佐藤さんはおわかりになってないです。《異常者》の生き方は絶対に変えられませんし、彼の逮捕は不可能です。それに逮捕できたとして、天田――じゃなかった、晦日さんはある裏技を使ってたので、全部なかったことにされてしまったでしょう」
 彼女なら素直に手錠をかけられた後でも、丹念に自分に関する記憶を壊していただろう。僕にはその方法の細部まで推理することはできないけれど、天田和良の可能性が成し得るものは、わかる。
「それでも!」
 殺人は許されない。
 そう続けたかったのだろうか。
 ご立派なことだけれど、今こうやって拳銃を向けていることを思うと、おかしくって笑いが溢れそうになる。
 実際は笑えないのだが。
「約束、してください」
「……やくそく?」
「俺は殺人を許容なんてできません。だから、もうこれ以上人を殺さないと、約束、してください」
 この大人は何を言い出すのだろう。
 それとも、あるいは。
 これが、人間の好悪ってやつなのか、天田。これが他人に好かれるということなのか、晦日。
「約束してくれなければ、あなたを撃ちます」
 見上げた正義感だ。これじゃあキャリアでも出世は望めまい。みゃこさんの予測は大体当たるんだなぁ。
 その正義感は強く、弱い。
 銃口が揺れていた。
 『人は必要に駆られるから殺すのだ』。
 鬱子さんの言葉が蘇る。
 ああ、確かに。
 佐藤さんも必要に駆られているな。
 彼の顔が、橙色にてらてらと光っている。
 僕は言葉を紡ぐ。
「いいですよ佐藤さん。殺してください」
「え」
 佐藤さんは意外な答えを聞いたようだった。
 甘い。甘すぎる。
 そんな二択で僕が僕を辞められるというのか。
「殺してくださいと言っているんです。ぜひ、僕を殺してください。引鉄を引いてください」
 殺せるものなら殺してほしい。
 できることなら、早く殺してほしい。頼むから、僕を殺してくれ。
 僕が自ら《異常者》に関わるのは死ぬためだ。やめるわけにはいかない。
 だから殺せ。殺せるものなら殺して終わらせろ。
 狙いやすいように手を広げてやる。
「この距離です。きちんと狙えば当たるはずですから、撃ってください」
「う、あ」
 佐藤さんの手が震えている。銃口はもはや定まることを知らず、揺れ続けている。
 殺せるものなら是非とも殺してほしいけれど。
 彼は僕を殺せない。
 佐藤一郎は人間で。
 隠居庵は《異常者》だから。
 《異常者》が人間を殺すことはできても。
 人間は《異常者》を殺すことができない。
 そんな物語を、持っていない。
「……殺せないのなら、僕は帰ります。明日も殺されるために、殺しに行きます」
 それでは、と足を踏み出し、彼の隣をすり抜ける。
 ちょうど彼に背中を向けたところだっただろうか。
 がぅん。
 文字にするとそんな感じ。
 実際はもっと耳の鼓膜を破るような空気の振動があった。
 佐藤さんが発砲したようだった。
 ようだった、というのは、僕にはそれを目視したわけでもなく。
 また、弾丸が僕の体を貫いたわけでもなかったからで。
 予定調和といった心地だけがその場にあった。
「よく知らないんですけど」
 弾とか拾ってさっさととんずらしたほうがいいですよ。人に見られたら、大事になるので。
 ひゅうひゅうと荒い息を繰り返す佐藤さんを振り返らず、そう言い残し。
 僕は帰宅を再開した。
 やっぱり殺されないよねえ。
 慢心でもなんでもなく、《異常者》である僕が、人間である彼に殺されるわけなどなかった。そんな簡単な問題であるのなら、僕は苦労していない。
 死ねなかったので、ちょっとおさらい。
 死ねない僕はどうやったら死ねるのか、考える。
「まずは基礎知識編でございまーす」
 自分の物語の傾向、他人の物語の傾向。可能性を捻じ曲げ、増幅し、書き換えるのが《異常者》。物語への干渉能力と言っても良い。
 《サナトリウム》はよく、ヒトの人生全体のことを『物語』と言い換え、喩える。人の『物語』には筋書きや傾向があって、鷹巣遠見あたりの《千里眼》なんかで大方予想できるんだとさ。
 物語に喩えるのは、人には可能性なんて存在しないから。選択肢があっても結局選ぶのは一つで、最初から一本道しか用意されていないのだと遊女さんは言っていたっけ。
「人には無限の可能性なんて存在しないのよ、庵。人の選択はいつも一つしかない。誰も可能性なんて内包していない。結局は一本道しかないの。二つの選択なんてできない。イフなどあり得ない。それがヒトの持つ物語。正しい人間の在り方ね」
 そいつの持つ物語を紐解けば、どうなるのか全部わかるってんだから凄い話だ。
 ただ、稀に出てくる《異常者》は違う。無限の可能性どころではない。可能性そのものだ。
 分岐を見つけては行ったり来たり。上下左右右往左往して、他人の物語にすら影響を与えてしまう。
 具体的には他人のページをめちゃくちゃに破いて勝手にピリオドを打つ。
 いやまともに打たれたピリオドならまだいい。
 最悪の場合は断絶だ。打ち切りにしてしまうことだってある。そうなると物語の整合性が合わなくなってくる。
 人は一冊の本、ではない。
 一人で完結することなどない。他人との関わりが少なからずあるものだ。
 打ち切られると、予定されていた他人との関わりが消失することになるのだ。
 それはちっとまずい、と考えたのが百年ちょっと前の連中で。
 でも歴史に名を残すような人々が《異常者》であった可能性もあり、この世界の歴史はその『整合性』が失われたまま紡がれているのではないか、と考える連中も出てきた。
「それが《サナトリウム》と称する営利組織、の前身」
 《異常者》を含めたまま話が流れてきたのなら、自分たちのために使ってもいいじゃないかというわけだ。
 いっそ清々しいほどに面の皮が厚い連中だ。
 使役したいがために自分たちの中から《異常者》を生み出したのだからおぞましい連中でもある。
 話を戻そうかね。
 《異常者》は多かれ少なかれ、物語の中にある一部の可能性を増幅させ、本来の物語を書き換えた者だ。一度物語の摂理を捻じ曲げてしまったので、今後も捻じ曲げ続けるだろうし、実際捻じ曲げ続けている。
 例えば、《殺人鬼》。
 伏見山観夕。
 彼女は、自分が他人を殺す可能性を増幅している。
 本人の好みで刃物を用いることが多いけれど、その気になればふっと息を吐いただけでヒトを殺してしまえるだろう。
 風が吹いた、結果、人が死ぬ。
 自然では、その可能性は限りなくゼロに近い。だけどゼロじゃない。
 そのゼロじゃない幾分かの、僅かな僅かな可能性を増幅し続けられるのが《殺人鬼》の異常ってわけだ。
「そしてこの僕の『言葉』も、他人の精神の奥底に届く可能性を強く増幅させている」
 そういった異常を持つ、可能性を使役する連中の物語が強固なものでないわけがない。
 喩えるなら、うーん、なんだろう。普通の人間の物語を『わたしの歴史』みたいな個人的なノートとしたら。
 そうだそうだ、これでいこう。ちょっとかっこよすぎるが、《異常者》の持つ物語は『英雄譚』だ。凶悪な連続猟奇殺人犯の犯罪歴でもいいぞ。どちらにせよ、存在感が違う。
 人間が『起承転結』であるとすれば、《異常者》は『転転転転』。これもまたケース・バイ・ケースだけどね。
 その荒唐無稽さに食われてしまう。決して人間の物語が弱いというわけではないけれど、《異常者》の持つ物語が強すぎ、大きすぎる。
 じゃあ人間の手出しできない《異常者》の物語にピリオドを打つにはどうすればいいのかというと。
 まあ、ほら、なんだ。支部を見ればわかるけど、《異常者》にやらせればいいのだ。
 可能性に可能性をぶつけて上書きする。
 観夕みたいに《殺人鬼》でありながら「どうでもいい」と言い、己の異常の『根源』に沈まないような奴を見つけてきて使えばいい。
 『人間に危害を与えないこと』『サナトリウムの利益を損なわないこと』、いい子にしてればそれなりの自由と権力を全員にプレゼント。アーメンハレルヤイェーイ。
 もうなんかめんどくさくなったというか部屋に着いたからまとめるか。
 そんなわけで僕は人間に殺されることができないのでこの仕事を続けて《異常者》が殺してくれないかなーっと擦り寄っていくわけしかないわけです。
「冗句じゃねーんだよなー。めんどくせえめんどくせえ。何がめんどくせえって自殺できねーでやんの。生きる権利があるのなら死ぬ権利だってあるでしょうよ。でも駄目なんだよなあ」
 それは《異常者》の問題じゃなくって。
 《支配者》の問題だから。
 現は僕を葬ってなどくれないのです。
 鍵を差し込み、自宅の扉を開いた。一日分熟成された空気が僕を出迎えた。
 あー。
 死にてえ。



了。