7.脆性破壊

作:宴屋六郎



多くの破壊は疲労から始まる。



 ついてないな。
 僕は呟いた。
 いや、語りかけた。
 ついてないな、と。
 語りかけたのだ。
 僕となるべき人に向かって、確かに僕は語りかけたのだ。
 最後に、僕は僕として僕に語りかけたのである。
 それにどんな意味があるのか。
 それにどんな意味を込めたのか。
 あるいは意味なんてなかったかもしれない。
 でも僕が僕になることはとても喜ばしいことで歓迎すべきことで、諸手を振って受け入れるべきことで。むしろ長年の夢が叶ったかのような感慨もあったわけで。
 僕が感じていたのは悦びだった。
 ――今回のそれは、楽しかった。
 そう、実に楽しかったのだ。
 僕は思い出していた。
 曲がりなりにも、自分と関係した者を壊した。壊すことが出来た。
 その快感。
 すばらしい。
 実に素晴らしい! 晴れやかな気持ちと、興奮がない交ぜになっていた。
 ドラッグを試したことはないが、きっとこれほど気持ちの良いことではあるまい。
 素晴らしいのだ。
 シンプルになる前には、自分と話し、感情を有し、人生の積み重ねがあった。
 たとえそれがどんなに薄っぺらいものだったとしても――僕は確かにそいつと人生の関わりがあったし、積み重ねを目撃していたのだから。
 見ず知らずの他人を無作為に壊すことよりも、ずっとずっと感動があった。
 この感動は、じつに形容し難く、何物にも代え難いものだ。
 もっともっと感じてみたいとも欲する自分がいるが、それは流石に良くない。食いしん坊は良くない。暴飲暴食は体に毒だ!
 もっと無作為に壊して。関係のないところを壊して。ゆっくりとデザートに。
 そう、他人は前菜だ。
 マナーを守って、ゆっくりと。時間をかけて。メインディッシュが到着するまで耐え、ありつけるときまでお行儀よく。
 大体、今のところはヒトを壊せるだけで満足している自分もいるのだ。
 不満な部分もないではないが、完全な満足などこの世には存在しない。
 どこか妥協しなければならないということを僕はわかっていたし、僕もわかっていた。
 ――人間はもっとシンプルでいい。シンプルなのが美しい。シンプルは究極の洗練だ。
 そんな思考に浸っている途中、母親が僕に語りかけてきた。自然、思考は破棄される。
 勉強はどうなのか、生活はどうなのか、学校はどうなのか。
 彼女が心配するようなことはだいたいこの三つ。それ以外には興味も微塵もないのか。あるかもしれないが、僕はまだ見たことがない。
 そして大抵の場合、僕は無難で完璧な回答を返し、返した刃は妹の方へと向かうのだった。あなたも見習いなさいとかなんとか。少し可哀想だとも思うが、親子の問題には介入しないのが吉だ。僕にはそれがよくわかる。
 父親は東京にいるから、母親は余計に気負っているのだろうな、とぼんやり思った。
 僕は検事になることを望まれている。
 最初は僕の意思ではなかったはずだったが、僕の意志ということになっている。
 まあそうしたのは僕なのだから、僕としては僕に従わざるを得ない。それくらいなら、なんとも。
 まあいいまあいいまあいいさ。
 全て順風満帆なのだから。
 順風満帆、追い風良好だからこそ。
 壊してみたいと思う。
 父親や母親も壊してみたいが。
 妹のビジュアルは高校一年生にしては悪くない。
 壊してみたいと思う。
 美しい者は壊してみたいと思う。
 壊してみたい。
 『僕』と僕を規定するものたちを。
 今すぐにでも。
 ――いや、それは良くないな。がっつかず、行儀良く、ゆっくりと、だ。
 それに、僕にはやるべきことがあった。
 考えるべきことでもあるか。
 僕のことを嗅ぎ回る人間がいることに、僕は気がついていた。
 僕は僕を見ていたからこそ、僕を嗅ぎ回る人間の存在に気づくことができたのだ。
 この辺は他人には説明しづらい話なので、いくらか省略する。とにかく僕は、他人の気配に敏感だったのだ。そりゃそうだ、僕はこれまで何人も壊していて、その上で警察機関を欺き続けているのだから、今後も続ける予定は詰まっているし、敏感でなければならない。だろう?
 まあ、確信に至った原因は『従兄殿』からもたらされた情報であるし、僕が『彼ら』を知ったのも、『従兄殿』のおかげだ。
 あの男、一体何物なのやら。僕の障害にならないのなら全く問題ないが。
 鎌をかけたり調べた結果、佐藤氏が最も怪しい――というか、露骨に動揺している様子、気疲れしている様子が見て取れた。
 僕はこれまで彼と親しく付き合ったことはないけれど、僕は彼を識っている。
 仕事はできるが、まるで刑事に向いていない刑事。顔や体に表情や感情その他諸々が出現しやすい男。センサーとしてはこれほど使いやすい男もいない。
 彼を尾行すべきだと考えた僕は、早速準備を整えて実行した。
 佐藤氏はほとんど常に自動車、覆面パトカーを利用していたが、危険だと思えるほどに安全運転を行う人間だったので、尾行すること自体は非常に容易だった。僕は単車も持っていたしね。
 準備を万全にして、しばらくの間だ、スケジュールを縫って彼を尾行してみた。
 一般人に尾行されて感づかない刑事とは。まあ、佐藤氏らしくはあるか。
 最終的に彼を使って判断する、結果は出た。収穫があった。
 その日のオープンキャンパス、僕ら美術部の展覧会に訪れていた、特異な空気を纏った少年。まるで空気を見える形にしたかのような、曖昧を希釈して曖昧にしたような、そんな少年。言葉を歩かせているような、そんな彼。知ってか知らずか佐藤一郎を名乗った彼。
 佐藤氏と少年が、ファミレスで会い、会話を交わしていた。
 気づかれないように尾行しているため会話の内容を詳しく聴き取ることができるほど近くに寄ることはできなかったが、様子を見るに、親しい間柄――少なくとも顔見知り以上であることはよくわかった。
 僅かでも内容を聞き取ろうと思い、僕はドリンクバーに向かった。彼らのテーブルは、カウンターに近かった。これは大きなリスクではあったが、何かを得るためには危険を冒さなければならないことを、僕はよく知っている。そう、満足を得るためには危険を冒さねばならぬのだ。
 不自然でない程度にゆっくりと歩き、彼らのテーブルの近くを通った。耳はこれまでにないくらい澄ましていた。チャンスの間、一言一句も聴き逃さないように。
 彼らの会話にはちらりと『破壊』という単語が混じっていた。壊す、破壊する。それらに類される単語が多く散見された。
 加えて、少年からの質問に、『性同一性障害ではないのか』というものがあった。
 ああ、これは。
 駄目だ。
 壊さなければならない。
 なるほど。危険だ。壊そう。
 この二人を壊さなければならない。
 僕はサイダーを口に含み、考えた。ぱちぱちと舌の上で炭酸が踊る。
 炭酸はびりびりと舌を麻痺させる。
 ――それからの行動は早かった。
 手洗いに入って、最近は持ち歩いていた装備を身につける。携帯で地図を呼び出して計算する。僕は頭の回転が速い。僕よりもずっと早い。
 佐藤氏は僕と僅かながら懇意の関係にある。彼を壊せたら楽しいだろうな、と静かな期待が揺らめいていた。
 それにあの少年も。
 他人とはどこか違う雰囲気を持っている。僕とも似ているが、どこか似ていない。誰かに似ているが、だからと言って、大衆に似ているモノを探すのは難しいだろう。少年は確かに、特異な存在だった。それがどれだけ稀薄な存在だったとしても。壊してみたいと思えた。強く思えた。
 路地に追い込むことに決め、追い込むことに成功した僕ではあったが、結果から言うと大失敗だった。
 あの少年。まさか伏兵を忍ばせていたとは思わなかった。
 流石の僕も予測不可能だった。
 あれだけ思いつき、アドリブで唐突に襲撃するのなら、邪魔は入らないだろうし失敗の可能性もごく小さなものだと踏んでいたのだが。
 やるじゃないか。僕の頭脳の裏を掻くとは。
 全て計算済みだったのかな?
 それともスタンドプレー?
 まあいいさ、次に挽回すればいいのだから。
 僕から逃げ仰せた彼が、次に手を打ってくるなら僕の懐だろうと思っていた。あの少年は僕のことを完全に疑っていたし、見ず知らずの他人に疑われるということはつまり、『彼ら』の一人なのだろう。
 木を隠すのなら森の中、ではないが、僕の家に訪れてくるのはほぼ間違いがなかった。下手に防御するより攻めた方がいい。攻撃は最大の防御である。『彼ら』ならそうするし、そうでなくてもあの少年なら攻撃してくるだろうという確信に似た予想があった。
 だから僕は防御を最大の攻撃にすることにしたのだ。
 結果としては――予定調和、だったかもしれない。
 やはり彼は攻めてきた。考えられる限り最速。迅速。
 僕は自室の扉、ドアノブに仕掛けを組み込んでいた。ある一定の回し方をしなければ、センサーが作動し、僕の携帯にメールを送信するというものだ。
 考案するのに苦労したが、製作は然程難しいものではなかった。僕は壊すことが出来る。特に苦労することなく壊すことが出来る。そして、好きなように壊すことができるのだ。
 自室への侵入を悟った時、僕は大学に居た。ちょうど授業と授業の合間が迫っていたので、焦らず、ゆっくりと授業に集中していた。大学から帰るとなると、ゆうに一時間近くかかるが、そんなことをする必要はない。僕には他の手段があるのだから。
 休憩時間を迎えた僕は、空き教室を探した。大学は広い。だからこそ、使われておらず人の気も人の目もない教室なんて、どこにでもあった。
 適当な教室を見繕い、僕は椅子に座って破壊を始めた。
 壊すのは、『距離』という曖昧なもの。
 ぶっつけ本番のアドリブではない。曖昧な存在の破壊は、既に何度か実験を繰り返していたし、実践も重ねていた。むしろ僕が誰よりもうまくやってのけていたのは、この『距離の破壊』を身につけていたからであると言っても、過言ではない。
 不夜樹海や、山の中で何度もやった。『壊した所』に手を突っ込むと、自分の腕が消え、『想像した場所』から生える。実に不思議な感覚だった。まるで、自分のモノのようで、自分のモノではないかのような。
 確かに僕の感覚は離れた場所にあるのに、目の前の消えた腕にも感覚があるような。腕を失った人間が時折、あるはずのない、失った腕や足が痛むという、『幻肢痛』にも似た感覚だった。僕はどこも失っちゃいないが。
 不思議なことに放っておけばそれは修復された。世界とは実に不思議なものだ。いつか解明してみたいとは思うが、知りすぎは良くない。太陽に近づきすぎて墜ちるなんてのは御免だ。僕はもっともっと壊したいのだから。
 まあ、見ても感じても面白かったのは事実だ。科学すらも超越したような思いがしたが、やはり慢心は良くない。どうせ誰にも観測できない現象だ。観測したモノは、全部壊れちゃってるしね。
 もっと修練を積み重ねれば、自分の体を移動させることもできるようになるだろう。他人では実験も実践もした。それまで『僕』は、大変面倒なやり方をしていたのだったな。懐かしい。
 大変便利な利器を手に入れたも同然の僕ではあったが、これも便利なだけの道具ではなかった。実験を重ねて得られたのは、実際に見えている場所、あるいははっきりと思い出せる場所でなければならないらしいという条件だった。
 なかなか扱いが難しく、だからこそ僕は、侵入者である少年の破壊に失敗した。
 ライブストリーミングサービスを使うというアイデアは悪くなかったはずだが。やはり隠しカメラはもっと鮮明なものを設置すべきだったかもしれない。それでも彼は、何らかの方法でカメラや警備システムを掻い潜ってくると踏んでいたので、あれ以上のものは望めなかっただろう。仕方ない。『彼ら』にはそれができるのだから。
 次に活かすことにしよう。
 そう、僕には次がある。
 僕は『彼ら』を相手にして何度も生き残っている。それどころか、優勢だ。この点については『あの男』も褒めていた。彼だけが僕を知る唯一の者。掴み所のなき男。
 なんにせよ、三度目の正直だ。
 二度も退けたのだから、三度目は成功する。させなければならない。
 なにより、僕は佐藤一郎――偽名だとわかっているが、それ以外に名を知らない、あの少年。
 僕は彼のことがとても気になっていた。気になる。非常に気になる。
 彼は無表情だった。
 無表情。
 表に感情の出てこない少年。裏にさえ感情が存在するのかわからない少年。
 僕に襲われたときも、部屋でやり合ったときも。まるで能面を被っているかのような無表情そのもの。彼が人間なのかさえ、疑ってしまう。
 あの、虚無しか存在しない彼の顔を歪ませてみたい。感情と表情を引き出して、じっくりと見てやりたい。
 壊してみたい。
 彼を僕の作品のひとつとしたい。
 『Simplicity is ultimate sophistication.』
 僕がそう望んだように、芸術として。
 純粋な興味として。
 帰宅して、自室に転がった破片群の中から一枚のメモを見つけた。手のひら程度の大きさだ。
 あの少年が残していったものらしい。個性のない手書きで、文字が綴られていた。
 『僕の名前』宛で、時間と場所が指定されている。その名前は、僕のものではなかったが、確かに僕のものだった。
 罠か。少なくともあちらにとって十分に有利な条件で待ち構えていることだろう。
 だが、向こうから来いと言われるのは初めてだ。招待を断るには、失礼だし、なにより。
 ――この僕、晦日籠は、罠すら壊したいと思っている。望んでいる。欲求が蠢き、乾いている。潤いを求めている。壊したい。全部壊したい。
 紙片をぐしゃりと握りつぶし、『壊し』た。
 さあ、三度目の正直と行こうか。



失望奇譚集―壊虐奇談7
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 三度目の正直という言葉がある。
 三度目は定の目、とも言い、占いや勝負ごとの一度目二度目は当てにならないが、三度目なら確実であるということ、らしい。転じて三度目は自分の期待通りの結果になることを指す。
 この言葉は往々にして慰めの言葉として使われるけれど、なら一度目二度目は失敗しても良いということなのだろうか。あるいは三度目以降は全てうまくいくのか? それとも全てうまくいかないのだろうか?
 一度目二度目が致命的に致命的だった場合は、どうなるのだろう。
 一度目二度目の失敗が致命的で、まさに命を失うような失敗であったなら、それはもう三度目はやってこないだろうし、四度目も存在しないことになる。
 そうでなくても、全員が全員チャンスを得ることができるわけではない。三度目四度目が訪れる人間もいれば、二度目も、一度目すら来ない人間だっているのだ。
 《破壊魔》に壊された人たちがそうであったように。
 僕は《破壊魔》から運良く逃れただけに過ぎない。
 一度目、路地での襲撃。
 二度目、晦日家での襲撃。
 そして――三度目。これからやること。やるべきこと。
 三度目の正直。全員に機会が与えられるわけではないけれど、全員に機会が与えられないわけでもない。
 僕にとっての三度目は、《破壊魔》にとっての三度目でもあるのだ。三度目を奪いあうことになる。というか、既になっていると言っても過言じゃない。冗句じゃないってのが厳しいところだ。最近は冗句の品切れが激しいので、そろそろ大量仕入れを決行せねばならない。という冗句でした。
 面白くねえな。
 まあ、だからこそ僕は考えなければならないってことで。三度目を《破壊魔》のものとさせぬために。
「……生き残るための動機が存在しないってのが、いまいちモチベーション上がらない理由かもしれんね」
 あれから。
 靴を買えず、財布もなく、北区から東区の支部まで戻った。不夜市東区は正直言って、かなり広い。北区は郊外って感じだけど、東区は商業の中心地と、港と人工島を含んでいる。そのくせ田舎も食っているから、縦にも横にも広いのだ。だから歩く量もそれなり、というよりも、かなり、という感じだった。まあいいよ、歩くのは嫌いじゃない。靴下一丁じゃなければね。
 数時間歩き通すと、さすがに靴下が使いものにならなくなったり、あれ、これ佐藤さんとかみゃこさん呼べば良かったんじゃねと気づいたりしたのは支部の近くまで来てからだったけれど、そんなお間抜けな話はいいんだ。いいんだ。自分からかける電話は苦手だし。いいんだ。
 足裏はひりひり痛むけど。
 えっと、そうだ、距離すら壊した《破壊魔》について考えた。想起した。想像を巡らせ、働かせた。いつだったかの観夕が言ったように、労働。そう、頭脳労働だ。
 破壊、破壊、破壊。
 僕は《破壊魔》の破壊を何度も目の当たりにした。実力行使を目撃してきた。
 破壊、破壊、破壊。
 行方不明者、被害者の破壊。スローイングナイフの破壊。コンクリ壁の破壊。
 目にした事象は決して多くはないけれど、ほとんど全てが純粋な破壊だった。
 だけど。
 晦日家侵入の際の、『距離の破壊』。
 満を持してというわけではないけれど、ようやっと応用技を使ってきた、という印象を受ける。
 それにより、僕の脳という海に、疑念がはっきりと浮上した。
 僕らを欺いていた可能性。
 自分の《異常》を隠し持っていた可能性。
 自分の《異常》を隠し持っている可能性。
 僕は《破壊魔》の《異常》が断定できていないのなら、最低限『破壊を行える』という、宙に浮いたようなぼんやりとした前提で調査を進めてきた。侵入するまでは、それで良かった。使わないということは、できないということ。できない状況下と条件下にあるということだからだ。
 けれど、それが今、崩れている。
 距離が破壊できるというのなら、あのファミレスで。僕を殺してしまえば良かっただけの話なのだから。
 行使したというのなら、できるということだ。
 それをしなかったということは。
「僕らの、《サナトリウム》の存在を知っている可能性がかなり高い」
 極力知られたくなかった。自分の《異常》にバリエーションと応用があること、応用できること。晦日家での攻撃はまさしく必殺のタイミングだったのかもしれない。
 結果的に僕は運に救われた。そうでなければ、あそこで決着をつけられていたのだろうか。
 僕の敗北という形で。
 ――少なくとも僕を止めれば、ある程度《サナトリウム》の調査を停滞させることができる。未だ、僕が持っている情報の全てが《サナトリウム》に伝わっているわけではない。僕が止まってしまえば、自分に差し向けられた調査が、一旦は止まる。
 僕一人を殺したところで、《サナトリウム》が止まるとは思えないが。
 しかし、そこから考えつくのだろう。反転攻撃、あるいは完全ステルスの方法を。あの天才は、きっと考えつくはずだ。
 僕には思い描けない方法で。
 だから僕は、彼を排除しなければならないわけだ。自らの命を賭して。
「……何のために?」
 僕は、僕が答えを出せないことを、知っている。
 《サナトリウム》の手先として動いていることも、結局は惰性でしかない。
 鬱子さんのように圧倒的な理由があるわけでもなく、観夕のように隔絶的に理由がないわけでもない。
 僕は息を吐く。
 ――僕が働く意味はない。どうしてずっとそこにいるのか。どうしてずっと《サナトリウム》にいるのか。理由はない。
 生きてる理由も。
 ない。
 冗句みたいだけど本当の話。真実だ。
 だけど、まあ。
 自発的に死ぬことができないわけだから、生きるしかないし。
 鬱子さんや《サナトリウム》に借りがないわけでもない。むしろ迷惑を押しつけられたような気もするけれど、結局人間は、神様の手の上で踊っているようなものだ。今頃何かに気づいて何か文句をつけようとは思わないさ、ああ。
 証拠だってないしね。
 そう、証拠。
 話は戻るが僕らに必要なのは証拠じゃない。過程でもない。
 何度も言われ、しつこく教育され、幾度も言ったことだけれど、とにかく『らしき人物』を排除できれば万事解決円満完結。鬱子さんも言っていた。消すことができるのならそれでいいと。僕がそうであると確信し、みゃこさんもそうであると信任してくれれば何の問題もない。
 晦日籠が男性ではなく女性で、でも何故だか周囲から男性と認識されている? そして戸籍は男性?
 だからどうした。
 《破壊魔》を排除してしまえ全く何の問題も存在しなくなる。
 だから。
 僕は。
 自分の『推測』や『憶測』の正しさを追求する必要はない。
 でも。
 それでも。
 僕は気になって気になって、気になってしまうのだった。
 性分だから仕方ない、としか言えない。
 僕は僕が彼らの『ルーツ』を。
 知りたいと。
 思っていることを知っている。
「……ま、想像することは自由だよね」
 幸いなことにたっぷりと。デートまで時間があった。冗句みたいに。準備のため火曜日も学校を休む羽目になったことも、やっぱり冗句みたいな話だった。
 それで、考えた。登校を諦めた僕には時間があった。
 考えた。
 自分なりに、これが正しいのではないかと。思えることを。
 これが正解なのではないかという答えは、用意できた。ぎりぎりで。
 ――僕の回想を打ち消すように、かつんかつんと革靴で歩くような音が響く。実際革靴を履いてきたのだろう。
 あの時、最初の天田和良が殺されていた現場で聴いた、警備員の安全靴とは、違う音。尖った音だ。
 来たか。
 左手の腕時計を見たけれど、暗闇でよく見えなかった。
 暗闇。
 ここは――最初の廃美術館。
 《破壊魔》にとっては最初ではなくとも、僕が事件に関与を始めたという意味では、最初の場所。
 ああ、そうだな。僕の仮説が正しいとするならば、《破壊魔》にとっても確かにここは最初の場所だろう。
 ここは二階ということで、フロアは違うけれど。
 受付だったもの、と思しき段差に腰掛けたまま、僕は声を発した。
「観夕」
「わかってる」
 闇の中、僅かな光だけが天窓から差し込む大展示室。《殺人鬼》の彼女は静かに寡黙に沈黙を守り佇んでいた。
 月の光が乙女の長い黒髪を照らし、闇色と蒼色の境界を曖昧にしていた。
 今夜は月がいっそう蒼い。
 足音は迷わずこの部屋まで歩いてきた。
 ぎぎ、と重たそうな音を立てて、扉が開く。何年も使われていないのだから所々錆びていて、そりゃ重たい。僕が押したときも重たかった。
 女性の身では、さぞ重たかろう。
「今晩は」
「今晩は」
 どちらともなく挨拶を交わす。
 彼女は――晦日籠は、薄明かりの中で、笑顔を見せた。白い歯。薄紅色の唇。目は……笑ってない。
 パステルグリーンのスプリングコートにジーンズ。上着の中には、緩めのネクタイで絞められた薄紅色のシャツ。大学生らしい大学生のような大学生の格好だった。どちらかというとメンズファッション、なのだろうか。
 稀代の《破壊魔》はよく通る声で言った。
「やあ少年。忘れ物を届けに来たよ。これじゃあ高校で困るだろう。隠居庵くん」
「それはどうも。というか中身見たんですか、失礼な人ですね。礼儀くらい弁えてくださいよ。ただでさえ僕の周りには気遣いのできない人が多いんですから」
「人の部屋、人の家に勝手に上がり込む子に言われたくないなぁ」
 そう言い、『彼女』は僕に財布を投げて寄越した。
 受け取り、中身がちゃんと入っているか確認しようと思ったけれど、器が知られてしまいそうな気がして、やめた。くだらないプライドである。
 というか、返してくれるのか。持ってきてくれたのか。
 案外良い人なのかもしれなかった。
「で? 僕をこんなところに呼び出して何のつもりなのかな? 僕に『乱暴』を働こうとでも言うのかな? まさか美術館デートというわけでもないだろう? 申し訳ないが、僕は年下の同性になんか興味ないんだ」
 別に僕が実は女の子だったとか、そんなことはない。ついてるものはついてる。
 彼女はあくまで、自分のことを男性と言い張っている。それだけのこと。
 まあその点については追々。
「違いますよ。確かに僕は年上の女性が好みですけどね。今日はちょっと、ゲームをしようと思って。招待状にも書いてたとは思いますけど」
「ああ、確かに。あの粗末なメモ用紙を招待状と定義するなら、確かにあれは招待状だったのだろうね。それで、何で遊ぶ? こんな暗い部屋だとあんまり何もできないと思うが。将棋とか囲碁は好きだよ――ああ、体を使う遊びなら、できるね。バスケットボールもサッカーも得意だが、僕ときみが嗜むスポーツは、球技じゃなかったね。ふふん。またやるかい?」
「ええ、お願いしますよ。ただし、ちょっとルールに手を入れましょう。このままだと晦日さんが一方的に有利ですからね」
 晦日籠は笑みを浮かべたまま離さなかった。
 まるでお面だな。そういう面を被っている。
 だからこそ、彼女は彼女でいられるのだろう。
「いいだろう。ただし僕が納得できたらね」
「大丈夫です、そんなにあなたが不利になるような条件でもありませんから。ここにいる女の子と戦ってもらいましょう。彼女を殺して奥に辿り着ければあなたの勝ちも同然です。僕には戦闘能力がないことを、あなたはよく理解しているはずです」
「……うん、うん。それなら問題ないね。どちらにせよ、この間の借りを返そうと思っていたところなんだ」
 観夕は黙っていた。いつもなら殴られ蹴られているところだけれど、黙って聞いている。
 予め説明し、先に殴られておいたからな。こんな深夜に、和菓子屋へ行くはずなどないのに。出不精な女の子を釣るための餌に決まっておろう。
 信じる方が悪いのだ。
「でもまさか、きみがこんなに直接的な方法で来るとは思わなかったよ。もっと策を練ってると思った。罠を張ってると思った」
「観夕がそのすべてを内包していますよ。僕の策も罠も、全部ね。だからあなたは彼女を破ることで、その全てを突破することができるのです」
「余程自信があると見える。なら、まあお兄さんも頑張ってみるよ。年下の女の子に負けるわけにもいかないしね」
 そうですか。
 そうですかそうですかそうですか。
 それじゃあ、早速ゲームスタートだ。
 僕は段差から立ち上がり、彼女に背を向けた。後ろから声が這ってくる。
「もう終わり?」
「終わりだよ。あとはよろしく」
「言われなくても」
 闇色の娘が動く気配と、晦日籠が動く気配を同時に背中で感じつつ、僕は歩き出した。
 ラスボスは奥でどっかと座っておくべきだ。それが王道だ。どこかの誰かのように、強制エンカウントなんて、奇を衒うようなことしちゃいかんのです。
「王道……魔王って器でもないけどな、僕。むしろ最初に倒される四天王タイプというか」
 その呟きを耳にする者は、もう誰もいなかった。






 隠居庵はゲームをしようと言った。呼びだされた僕としては、早速やり合うものだと思ったのだが。まずは前哨戦なのだろうか。
 観夕と呼ばれた少女が僕の行く手を遮る。この娘は、僕の邪魔をした娘。あの時やり合った、凄腕。
 彼女も僕らと同じなのだろう。そうでなければ、少年は全てを賭けたりしない。そもそも、ただの女の子ならこんなところにいないだろう。
 隠居庵は、全て彼女が内包していると言った。策も罠も。その言葉を全て信じるほど僕は愚かではないが、何となくわかるような気がした。
 野に生きる狼のように油断なく僕を睨みつけている少女は、確かに。強敵のように思えた。実際一度は遭遇して肉体言語を交わしかけたわけだしね。
 僕は笑みを崩せなかった。最高だ。あのときもそうだったが、目の前の少女は美しい。隠居庵も壊してみたいと思ったが、この少女もなかなかどうして。
 美しいものは壊したい。
 綺麗なものは壊したい。
 破壊したい。
 抑えていない笑みが溢れ、零れる。
 ふふふ、と遠慮せずに音を漏らした。
 黒の狼は僅かに身震いしたように見えた。僕のことを不気味がっているのかもしれない。
 しかし刹那。
 その姿がぶれた。
「――――っ」
 真正面。
 いつの間にやら抜き放っていた短刀のようなナイフ。切っ先が殺意を宿したように、僕を見つめていた。
 真っ直ぐ受け止めて壊してもいい、が。
 あの狼の牙は、そんなに単純だろうか。いや、単純じゃないはずだ。隠居庵は僕の『力』を把握していた。少女も僕とやりあった。最低限の『力』は把握している。
 だったら搦め手を使ってくるはずだ。安易な防御は死を招く。
 防御か回避か、カウンター。
 数歩の距離を一歩で詰めてくる。まさしく黒狼。月光の光の中を、ずいと踏みこんでくる。
 速い、が。
 サイドステップ。ストレートな突撃を回避成功。特殊展示の仕切り壁に体を寄せる。
 直線の攻撃は避けやすい。
 避けやすいがゆえに。
 避けやすく、反撃に転じやすい。
 ゆえに。
 ――もう片方を抜いてくる。
 翻る黒狼の毛皮とでも言うべき、長外套。
 影の中からもうひとつの銀色が飛び出すのがわかった。少女は足で突進の勢いを殺そうとしている。
 いつ左手を動かしたのか、わからなかった。長外套が視線を遮ることに成功している。
 獣と目が合った。
 冷たく深い、闇色の瞳。
「…………」
 まるで居合のように迷いも油断もなく薙ぐ、銀の縦半円。正確に僕の喉を狙っている。そして僕は背後に下がることができない。仕切りの壁が邪魔だ。
 前に突進しながら側面もカバーか。
 受け止めても左のナイフ、回避しても左のナイフ。右のナイフは完全にフェイクだが、避けても回避しても駄目。右に避けたら、また違う手が待っていただろう。
 刃物の分があり、リーチは僅かに負け。
 手数も恐らく負けている。僕は
 僕はまさしく徒手空拳。破壊能力だけは突出しているので、攻撃力だけが勝っている。
 単純にスペックでは負けている。
 なら。
 撤退だ。
 どこへ? 決まっている、背後だ。
 僕は手が触れたままになっているコンクリ壁を、壊した。
 破壊の方向は、僕の側に。
 破壊の衝撃が、僕の力によって前方向へと捻じ曲がる。物理法則をまるっきり無視しているが、僕にはコントロールできる。
 煙幕と弾幕。
 リーチがなければ作ればいい。僕にはそれができる。
 正しく一石二鳥の石の破片が、僕の背面全てを打つが、大したことはない。顔にさえ当たらなければ大したことじゃない。壊れて生まれた通路に、僕はバックステップ。回避成功。
 少女は違う。
 こちらを見つめているがゆえに、彼女は僕の背中から漏れた石片たちを、もろに受ける形になるはず。
 だった。
 彼女は一瞬で長外套を翻し、弾幕を黒の毛皮で受けた。なんという反応速度と、身体能力。突進は決して勢いの甘いものではなかったし、そこから左手を繰り出しただけでも凄まじいというのに。勢いを殺しながら体を回転など。
 人間技ではなかった。
 ――この瞬間、彼女の目は僕から離れている。黒コートの向こう側にある。弾幕を防御するために。
 僕は僅かに悩んだ。
 踏み込んで触れるべきか、このまま逃げるべきか。
 決断は一瞬。
 退く方がいいに決まっている。
 これ自体がフェイクである可能性が高いし、こちらはバックステップで背後へと力がかかっている。ここから素早く攻撃に転じなければならない。
 狼の復帰は早いだろう。
 僕は思い出す。
 ここは大展示室。通称『迷路堂』。
 緻密に計算された、コンクリ壁による迷路が作られており、各所に展示物が飾られる――。今はもうどの展示物も撤去されて久しいが、コンクリの解体は骨で、なされていないはず。
 何故詳しいのかと言われれば、それは『この美術館だから』、だ。『僕があの絵画を見つけた』のは、ここだからだ。
 僕は迷路の中に紛れることにした。
 背後の壁を抜けた先もやはり、コンクリ壁が並べられ、迷路が形作られていた。
 放置されて久しいので埃や汚れが目立つ。天窓からの月光だけが僅かな光源だったが、もう目は慣れきっている。
 問題ない。
 狼のようなあの娘のことだから、すぐに飛び込んでくるかと思ったが……冷静なようだ。
 しばらく順路通りに進み、立ち止まる。耳を澄ませる。
 塀所に逃げ込んだのは失策ではないはずだ。
 確かに逃走場所も回避方向も限られる、が。
「――……」
 角から狼が飛び出してきた。
 攻撃を仕掛けてくる、ように見せて、通り過ぎる。
 消耗戦に持ち込む気か。
 それからしばらくの間、角からナイフが閃いたり、僕のスプリングコートを引き裂かれたり、回避したりを繰り返す。
 まさしく消耗戦。じりじりと体力を削られている。
 だが焦ってはいけない。あの少女の目的は、間違いなくそれだ。焦らせて、顎の中に飛び込んでくるのを待っている。
 と思ったところで、回り込んできたのか、背後に立たれている。
 バックスタブ。背後からの致命の一撃。
 加えられると思ったのか?
 ナイフが閃く前に、僕は壁を壊した。振り返りながら。
 今度は先程よりももっと尖らせて、強く飛ぶように力を加える。
 再び外套を翻し、防御しながら撤退。頬くらいは掠ったかもしれないが、綺麗に命中したような手応えはなかった。
 狼は再びコンクリートの森の中へと消える。
 まったく、驚くほどすばしこい。
 厄介な相手だ。だからこそ面白いのだが。
 僕に触れられてはならぬとわかっているから、余計には踏み込んで来ない。
 このまま彼女のペースに持ち込まれるのも癪だ。
 僕は決めた。
 彼女は。
 どうせ。
 次は。
「上から来るんだろう?」
「……っ!」
 壊した方とは逆の壁。僕の背丈よりも幾分か高い、壁の上。
 見上げると、猛禽のように獲物を狙おうとしていた彼女と目があった。
 白磁のように静かな顔に、僅かに動揺の色が混じった。
 何だ、隠居くんと違ってちゃんと感情が見えるんじゃないか。
 僕はなんだか嬉しくなった。
 喜びに胸躍らせながら、僕は左手で壁を破壊した。
 今度は上方向だ。欠片が彼女の視界を潰し、ダメージを与える。
 灰色の壁が大多数の欠片になっていく中で、少女は素早く飛び降りた。後ろへと、逃げるように。些細なダメージなどお構いなしといった感じに。
 それはまさしく、失策だよ。
 僕は距離を詰める。
 空中の彼女は体勢を変えられない。
 ナイフを振ってくることはわかっていたのでタイミングをずらす、掴んだ。
 彼女の右腕を掴んだ。
「こわれろ」
「っ!」
 その美しい少女は、しかしばらばらにはなってくれなかった。シンプルにならなかった。
 長外套の袖をしっかり掴んでいた。ゆえに、すっぽりと抜けた。
 彼女は一瞬にして外套を脱ぎ捨てて見せたのだ。黒布が繊維と糸。留め金が金属片。釦がプラスティック片へと壊れてシンプルになってゆく。
 遅れて、コートの中に隠していた刃物類が落ちてくる。その数はざっと数えても十以上。
「隠居くんといい、自分の上着に執着のない人だ。もっと物を大事にしたまえ」
「…………」
 上着を剥がされ、黒のシャツに黒のジーンズというシンプルな格好になった少女が僕を睨む。
 しかしまあ。
 よくもこんなに刃物を身につけているものだ。
 両脇、腰の裏、両腿、両足。至るところに黒や茶のホルスターが装着されている。ものによってはいくつも連なっているし、どれも刃物が収まっているようだ。脇や腿のは、投げナイフかな。
 転んだら危険だと思うのだが、彼女ならそんなヘマはしないような気がした。
 無事に着地した彼女は左手でいくつかのナイフを抜き取った。少女の腕が霞む。
 成程ね。黒の長外套は、投擲の動作を隠すためか。今はそれが失われているので、全て丸見えということだ。
 スローイングナイフが飛来する。恐らく毒が塗られている。
 視認できている。二つ。僕から見てやや右。
 手で受けて壊すには少し間隔が短すぎる。
 動作が見えているので回避は容易い。しゃがむと、頭上を銀色の線が抜けて行った。
 僕の回避動作などお見通しだったと言わんばかりに彼女が疾走。両手に牙を携えて。
 成程。成程ね。
 僕の体勢は崩れている。
 すぐには動けない。
 壁も近くにはない。
 あと数秒もあれば、ナイフは僕の命を奪うだろう。
 隠居庵。
 確かに彼女は強い。
 野生動物の様な直感と、反射神経、それを可能にする身体能力。そして決して馬鹿ではない、クレバーな思考。
 規格外だ。こんなのが『彼ら』の中には沢山いるのかい?
 だったら――楽しみだ。実に楽しみだ。
 僕は壊したい。
 色んなものを壊したい。
 だからここで壊れるわけにはいかない。
「きみの突進を待っていた」
 僕は姿勢を低くしたまま。
 体を支えるために床についていた手から。
 破壊の奔流を。
 解き放った。
 壊すのは床の一部だ。
 そう、一部で良い。
 僕が立っていられる場所を残し。
 彼女を落とすことができるだけの。
 『力』が僕に呼応した。
 左足で支え、右足を踏み出した少女。
 その足裏が、床を捉えることはなかった。
 まさしく地の割れる音が殺到する。
 コンクリ床が崩れる。
 彼女の足下が崩れる。
 ノータイム。
 前触れなどなく、一気に崩れる。抜け落ちるように、崩れる。
 空中で体勢を変えることはできても、空を蹴ることなど、どんな動物にもできはしない。
 少女は蹴るべき床を失くし。
 落ちていくしかなかった。
 驚きの表情を貼り付けたまま、奈落の闇へと落ちて行った。
「…………」
 遅れて、どっ、という決して小さくない音が響いた。落下音か。
 恐る恐る穴の中を覗く。闇しか見えないが、何かが動いたような気配もない。
 下は広いホールになっていて、天井は高かったと記憶している。六、七メートルはあったはずだ。
 受け身などできない落とし方をしたので壊れたか。あるいは生きていても大怪我、少なくとも両脚骨折か。僕としては頭を打って壊れてしまっていることが望ましい。
 生きていても僕にはもう勝てない。万全でない彼女に勝てる道など存在しない。圧倒的に僕が有利に立つ。油断なく冷静に計算して、そう答えが出た。
「僕の勝利でいいのかね」
 あっけない。
 体に着いた埃や煙を払う。コンクリの粉や欠片が付着している。
 汚れはあまり落ちなかった。
 迷路には月光の中で埃が舞っていた。コンクリ壁や床を壊しまくったせいだ。
 迷うことなく迷路を抜ける。
 何、簡単なことだ。
 壁を壊せるのだから。
 迷路を抜けると、テラスに出会った。硝子が嵌っていたであろうフレームが並んでいる。
 風雨に晒されていたため、辺りは他よりも痛みが激しかった。
 僕は短い階段を登り、外に出た。
 バルコニーのようにせり出したそこで、彼は佇んでいた。月を眺めているようだった。
 隠居庵。
 前とは違う灰色のジャケットに、黒のタートルネック。藍色のジーンズ。少女のような武装はしていない、と思う。
 月が出ているため、中よりも外の方が明るかった。
 鬱蒼と木々植物が生い茂る向こうに、池が見える。夜色にそまった水面に、半月が映っていた。
「僕の勝ちのようだよ。あっけないものだね、隠居くん。ああ、そういえばきみが名乗ったことはなかったよね。あの時は佐藤一郎だったし――出来れば名乗っておいてくれないか。これから壊すものの名を、記憶に刻み込んでおきたい」
 僕の勝利宣言により、接近にようやく気付いた彼は、予定調和といったように振り返った。
 負けたことに、何の感慨も抱いていないように。
「いいですよ。その代わり、二、三答えてもらいたいことがあるのですが」
「何かな。僕に答えられることだったら、何でも訊いてくれよ」
 土産物ならいくらでもくれてやろう。
 僕が足を踏み出す度、木製床はぎいぎいと音を立てた。痛んでいる。
 隠居庵は手摺に背を預けるようにして、腕を組んだ。
 能面のように静止した顔の中で、深淵色の瞳が、僕を捉える。
「晦日さんは気持ち悪いものはお好きですか?」
「好きな人なんてあまりいないんじゃないか。僕はシンプルが好きだけど。まあ、どういうものが気持ち悪いか、定義の内容にもよるだろう」
「そうですよね。わかってました。じゃあ僕のことを話すべきですか。僕は気持ち悪いのが嫌いでしてね。何が気持ち悪いって、中途半端に知っている、中途半端にわかっている状態ってのが嫌で。全部知ってるか、何にも知らないか。そのどちらかがいい」
「ちょっとわかる気がするね」
「でしょう?」
「全面的な同意はできかねるよ」
「まあそうでしょう。それが無難、生きるに楽な道。そんな僕だから、今回の事件についてちょーっと捕捉してもらいたいことがあるんですよ。犯人であるあなたにね」
「いいよ。冥土の土産だ。知っていることなら出来る限り答えよう」
 その答えに。
 彼は安堵したように息を吐き出し、言った。

「ありがとう――天田和良さん」

「……はて。名前を間違えるなんてきみらしくない。いや、きみらしい失礼な行為なのかな?」
 隠居庵の表情は変わらない。女みたいな細い顔に、無を貼り付けたまま、唇と舌だけが蠢く。
「いーえ。それが間違っていないんです」
「へえ?」
 続きを促す。
 彼は何を言おうとしているのだろう。
 楽しみになってきた。
「だから答え合わせをしてもらいたくって、と言いました。気持ち悪いって話なんですけどね、なんだかおかしいんですよ。あなたの周りの人は、みんながみんな、あなたを男性だと認識して断言するんです。男前な風貌をなさっているから、『もしかすると本当に男の人かもしれない』という感じ接されているのかとも思いました。でもそれなら、断言はできないはずなんですよ。僕の様な若造にだって男女の差はわかりますからね。男性として扱うにあたって、特別な事情がおありなのかとも思いました。たとえばGID――性同一性障害とかね」
「うーん、自分の性別に違和感を感じたことなんて、生まれてこの方一度もないよ」
「ですよね。まことに勝手ながら調べさせてもらいましたから。さっぱり出て来なかった。調査不足なんかではありませんよ、僕らの調査力ですから」
 僕は思い当たるキーワードを取り出してみる。鎌をかける、というわけではないが、確認程度だ。
「《サナトリウム》と言ってくれて構わないよ。僕は知っているから」
「それはお気遣いどうもありがとうございます。まあ噛みそうなんでやめておきますよ。苦手なんですよねー、横文字って。冗句ですけど。――記録の上では男性、しかし見た目は女性。でも周りは男だと断定する。なーんだか気持ち悪くって気持ち悪くって。おえーっ!」
 表情もジェスチャーもなく、言葉だけで嘔吐する隠居庵。
 饒舌な少年だった。
 疲れないのだろうか。
 表情筋を動かさずに、唇と舌だけを働かせるのはすごいことだ。
 しかしなんだろう、この空虚な感じは。
 己一人で会話をしているような気分になる。相手はこれだけ忙しなく舌を動かし言葉を遣っているというのに。
 無機質な声も、それを強く印象付けているかもしれない。
「それは僕が正真正銘男だからに他ならない。なんのトリックもない。ミステリにでも憧れているのかな? 残念だけど、期待には応えられない」
「僕はミステリは好きじゃないですよ。……しかし、期待に応えられない? そんなわけないでしょう?」
「『触れて』もらえば、わかるよ」
「知らない女性の体を触らせてあげるって言われた時は用心に用心を重ねなさいって、ゲームで学んだので遠慮しておきます。さておき、僕はこの小さな脳味噌で本当にいろんなことを必死で考えました。最初から辿りなおしてみたりね。まるでフィクションに出てくる探偵みたいな作業でした。僕は決して探偵なんかじゃないんですけどね。調査するのも推理するのも苦手でして」
「嘘、かな」
「本当ですよ、信じてください。冗句は言うけど嘘は言いません、多分。考えても考えてもスマートな答えは見つかりませんでした。だから僕は、妄想するしかない。無遠慮に無思慮に、自分の勝手な思い込みとワイドショー並の詮索をするしかない。自分の知っている現場について。自分の見聞きしたものについて。客観的にね」
「ほう?」
「客観視するということがいかに重要か思い知りましたよ。ま、客観なんて主観を限界まで稀釈したもの、他人の主観とのすり合わせでしかないんですけど。それでも全体から見下ろしてみることは大事でした。僕がこの事件に関わり始めたときのことを思い出して、もう一度考え直してみたのですけれど、完璧主義者とまでは言わなくとも、何事も完璧に成し遂げてしまう晦日籠が、遺体の一部を残してくってのはどうも人違いくさいのですよ」
「人違い? おかしいとか彼らしくない、の間違いではなくて?」
「何でもいいですよ。僕のどうでもいい拘りですから。結局のところ、これまでとは違うって点を指摘したいだけなんです。そう、これまでとは違う。違いすぎる」
 何が、と言うまでもなく隠居庵は続ける。
 これだけ喋ってよく噛まないものだ。
 表情の変化なく淡々と言葉を紡いでいく様は不気味でしかないが。
「どれだけ僕らが突然美術館を訪問しようと、晦日さんが肉体を残していくことなんてありえないんです。これまで周到に隠してきたというのに、どうしてそうも簡単に諦めたのか、理解できないのです。あなたには、そうするだけの力があるというのに」
「動揺したんだよ。それにきみたちが有能だったんだ。僕はきみらが近づいてくることに全く気がつかなかった。間抜けなことに、直前までね」
 だから身を翻して脱出を第一としたんだ。
「あり得ませんあり得ませんあり得ないです。この美術館は妙に足音が響く。今日のあなたもそうでしたけれど、僕はあの警備員たちの様子で気づくべきだった。入り口から二階に聞こえるほど、筒抜けなのです。意図的なものなのか、それとも構造上の欠陥なのかは定かではありませんけどね」
「多分意図的なものだよ。多分ね。――僕はさっさと逃げたかったんだよ。姿を見られるわけにもいかなかったし、気づくのが遅れたせいで壊してる時間もなかった。急いで非常口から出て、鍵を閉めたのは正解だったようだ」
 隠居庵は少しだけ息を吐いた。
 相変わらず能面だというのに、なぜだか彼が笑っているような気がした。
 冷たい夜風が頬を撫でる。
「いや。いやいやいやいや。違いますね。何言ってるんですか。おかしなこと言わないでくださいよ天田和良さん。からかってるんですか? それともとぼけているんですか? ちゃんと起きたまま聞いてくださいよ喋ってくださいよ。晦日籠ほどの《異常》の持ち主であれば、一秒もなく遺体を完全破壊することができたでしょう。そりゃあ液体くらいは残ったかもしれないけれど、肉片だって骨だって皮だって、何でも全て破壊できたはずだ」
「僕は天田和良じゃなくて晦日籠なんだがね……」
「あなたがそう思うのならそうなのでしょう。あなたの中ではね。――あなたは、敢えて破壊をしなかった。僕はそう考えました」
 僕は吹き出す他なかった。
 おかしなことだ。
「いやいやいやいや、きみこそ何を言い出すんだい。そんなことしても、メリットなんかないだろう。デメリットしか存在しないし存在できないよ。意味がない意味がない意味がなさすぎる。警察に捕捉される危険性が高まっただけじゃないか。現に僕は《サナトリウム》の、きみに捕捉されている。単なるヘマだよ」
「肉片を残すことに意味があり、そこにこそメリットがあったからです」
 そう、メリットがあった。
 隠居庵は呟く。
 僕は静かに耳を傾ける。
「辿って欲しかったから、でしょう」
「僕が? 《サナトリウム》に? お笑い草だね。蛮勇――いや、単純に自殺行為じゃないか」
 僕はおかしかった。
 楽しかった。
 面白かった。
 とてもとても、愉快だった。
 成程。
 本当に成程だ。
「ええ、だから最初にその妄想は捨てました。でも考え直してみると、《サナトリウム》側に立って考えているということがそもそもの間違いだったんです。ちょっと視点を変えれば――客観視して主観を切り替えてやれば。辿る人間を変えれば、生きてくるんですよ。行動するのは僕らでも、実行していたのはあなたでしたから。……あれ? 天田さん、聞いてます? 話が長いかな……」
「聞き入ってるよ。どうぞ続けて」
「いい人ですね、ありがとうございます。――僕はあなたの《異常》を目の当たりにしました。あのときは結局直接対決はなしでしたからね。どちらも奇襲しかやってないし。僕の奇襲作戦というか、偵察作戦は迎撃されちゃいましたし。でも、いけませんねぇ。力を見せたのなら、必ず殺さないと。必殺しないと駄目です。迎撃するなら全滅させないと殲滅しないと撃滅しないと、駄目なんです。経験者に手の内を見せてはいけないんですよ」
「隠居くんがベテランプレイヤーだってことはわかったよ。でもビギナーズラックってのもあるからね。というか、僕ときみなら、圧倒的に僕の方が有利だよね、今は」
 何せ僕はすでにゲームに勝利している。
 周囲には何の気配もない。罠もない。
 相手はもはや死者。戯言しか言えぬ骸。
 だというのに、相変わらず彼の顔は涼しげを通り越して極寒の無だった。
「僕が思うに、あなたの《異常》は『極まって』いる。だからいろんなことができるはずです」
「わからんね。僕はただの《破壊魔》だよ? 単純に壊すことしかできない、哀れな子羊さ」
「狼の間違いでしょう? しかし驚いた。《破壊魔》の名を得ているんですか」
 彼は幾分か驚いたようではあったが、「まあいいでしょう」と呟いた。
「単純ゆえに怖いんですよ、《異常》ってのは。複雑な方がやりやすい。経験上わかりますわかります。こんな若造ですけれど、結構いろんなものを見てきましたからね。無力な一兵卒なりに。んで、何が言いたいかと言いますと、あなたは『破壊』することができますよね」
「できるね。そのための僕の『物語』なんだろう」

「同時に、『修復』もできるはずだ」

 言葉ががつんと飛び込んでくる。
 そんな心地だった。
「……そりゃまた、『破壊』とは真逆な話だね。どうしてそう思う? どうしてそう考えた?」
「あなたの言う通り『真逆』だからですよ、天田和良さん。《異常》が向ける方向を、逆向きにしてやればいい。極まってしまった以上、空間と空間の距離を破壊してしまうほどに極まってしまっているあなたになら、可能なはずです。壊したものを元通りにする。それもまた一種の破壊だからです。あなたにとっては、お茶の葉さいさい」
「それを言うなら、お茶の子さいさい、じゃないかな。お菓子じゃなくて茶葉を食べてどうする」
「そうそれ。まあいいじゃないですか。お菓子だって葉っぱだって変わんないですよ。人間の遺伝子、いや人間の全てを自分と同じ形に破壊することができる、あなたにはね」
「どういう、意味かな?」
 僕は笑顔だったろう。
 これ以上ないくらい、笑顔だったろう。
 表情筋が痛んでいるのが、ようくわかったからだ。
 顔の筋肉という筋肉が痛むほどに、僕は満面の笑みを浮かべていた。
「『本当の晦日籠』を殺して肉やら骨やら皮やら髪の毛や神経やら血液やら、思いつく限りの全てを自分のものと同一にすることも、あなたにとってはお茶の子さいさいだって、言ってんですよ。警察に天田和良――不夜大学に所属する女子学生が死んだと、そう辿らせるために、致死量の血液と肉片たちを残していったんでしょ? 天田和良さん。いいですかいいですかいいですかい、天田さん? あなたは非常に狡猾だ。怜悧狡猾で、邪知深いとでも言うべきでしょうか。佐藤さんの調査も甘い。天田和良さんがあんまり頭のよろしくない女子大生だなんて、とんだ嘘っぱちだ。でも仕方のないことかもしれません。あなた、本当は、とても頭の回るお人でしょうから」
「…………」
「僕は客観視します。あなたはとても頭が良いのではないでしょうか。能ある鷹は爪を隠す。大智は愚の如し。本物の晦日さんも大した方で、大した《破壊魔》でしたが、あなたは更に上を行く方なのでしょうね。晦日を出し抜けるほどに、晦日を超越していたのではないですか、天田和良さん。あなたはこれまでずっと、馬鹿な女の振りを続けてきたのではないですか。それをやれるだけの力があったのではないですか。そしてあなたの『破壊衝動』は本物だった。先天性か後天性かは詳しく訊かないとわかんないんですけど、あなたは壊したくて壊したくて仕方がなかった。でもそうするわけにはいかなかった。止められたくなかった。誰にも邪魔されたくなかった。だから自分を殺し、晦日になることで、好き放題できるようにした。警察や《サナトリウム》に晦日が捕捉されても、抜け殻にすることで、脱皮することで、また違う人になりながら、好き放題できると。本気で考えている。そうするだけの頭脳と力がある。違いますか」
「…………」
 成り代わり。
 誰かになること。
 たとえ知り合いがお前は誰だと言っても。
 違和感を抱いても。
 いや抱く前に。
 記憶を都合の良いような方向に破壊してやればいい。
 沈黙。
 僕らの間には空洞のような静けさがあった。
 やがて隠居庵が疲れたように息を吐き出した。
「これが僕の妄想なんですけれど、どうですかね? あってますか?」
「大した妄想だが。結局状況証拠しかないじゃないか。いや、状況証拠ですらないな。きみの言う通り、想像で、妄想でしかない。そんなのじゃ推理なんて言えないよ」
「いいんですよ。証拠なんかなくたって。ただ自分の中にある気持ち悪さと違和感を消し去りたいだけの自慰行為なんですから」
 そう言ってのけた隠居庵は、やはり虚無のままだった。
 虚無の空気は、僕に言葉を差し向ける。
 なぜだかわからないが、耳を介さず、そのまま胸に刺さるような、そんな心地がしていた。
 胸のあたりを吹き抜ける、一陣の冷風。
「だから、教えてくださいよ。答え合わせです。合ってるんですか。それとも間違っているのですか。僕はあなたから、答えが欲しい」
 彼は答えを求めていた。
 謎々の答え、自分は間違っていないのかと期待に満ちた子供のような。
 表情にも声にも色はなく、無色透明だというのに、何故だか彼の言葉からは、よく似たものを感じた。
 僕は。
 応える。
 答えに応える。
「――全てきみの妄想に過ぎないという点に目をつむれば、概ね正解だ」
 妄想と連呼しているのなら、周りに言いふらしているわけではなかろう。
 その妄想、なかったことにしてみせる。
 なかったことにせねばならない。
 これからも僕は壊し続けなければならないのだから。
 僕が僕を捨てたように。
 ずっとずっと。
 壊し続けるために。捨てる。
「へえ。なら良かった」
 少年は言う。
 僕は歩む。
 彼のすぐ近くまで、歩を進める。
「では、最後の質問です」
「あれだけ喋って、まだ何かあるのかい」
 僕はほとんど呆れていた。彼には驚かされてばかりだ。
「ええ、ええ。最初に二、三聞きたいことがあると言ったでしょう。まだ一個しか終わってませんからね」
「あの長い問答でワンカウントとは恐れいった」
 ほとんど彼と接吻を交わすような距離まで近づいた僕は、僕よりも身長の低い彼のことをまじまじと見つめた。
 虚ろ色の瞳は、僕のことをじっと見つめている。どこか背筋の冷たくなる顔だったが、不思議な魅力があった。心の奥底で破壊衝動が盛り上がっていくのがわかる。
「まあまあ。これが最後ですから。僕が一番気になってることは、さっき答えてもらったのですけれど、あなたにとって一番重要なのはこれなのですよ、実は」
 右手を挙げて。
 彼の頭を掴んだ。
 黒髪の僅かに硬く、僅かに柔らかな感触。
 触れている。僕は隠居庵に触れている。
 チェックメイト。
 これで欲望を解放するだけで、彼は壊れる。
 圧倒的に有利な状況。
 僕の《異常》を理解しているはずで、気分次第で壊れてしまうはずの隠居庵。
 生殺与奪を他人に掌握されている彼は、しかし静かにこちらを覗きこんでいた。
 指と指の間、その向こうから。
 波紋のない水面のような、顔で。
 恐ろしくないのか?
 ――そして彼は僅かな沈黙の後、言葉を紡ぎ出した。

「――あなた。天田さんの前は、誰だったのですか?」

「…………」
 言葉が通り抜ける、感触を。
 僕は確かに味わった。
「何を言っている? 僕は晦日籠だよ」
 ええ、存じておりますとも。あなたは晦日籠でもと天田和良。それは確かにわかっている。
 ――何だ?
 これは?
 隠居庵は確かに口を開いている。開閉している。
 隠居庵は確かに舌を動かしている。上下させている。
 だが声は。
 僕の内側、胸の中。頭の中。脳の中。所在のわからない場所に聞こえてきている。
 耳ではない場所から。
 外ではなく内から。
 雑然と雑念と雑踏のように言葉の奔流が僕の中で引き出され押し込まれぶち込まれる。
 言葉を。引き出さ。れる。感じ。が。した。
「きみはいったいなにを」
 細かいことはいいじゃないですか。それよりも答えて下さいよ。あなた誰です?
「何を言っているかわからない。僕は僕だ。それ以上でも以下でもない」
 わかってるくせにわからないふりをしているようだ。ねえ天田和良さん天田和良さん。頭の良いあなたならわかるはずなんです、わかってるはずなんです、冗句抜きで。
「やめろ、出ていけ」
「『出ていけ』?」
「僕は一体何を言っているのだろう。何から、どこから、何に出ていけと言っているんだ?」
 わかってるはずなんですけどね、僕の想像が正しければ。まあ僕は自分の正しさになんか、事実の正否なんて興味ないんですけど。冗句だけど冗句だけど冗句だけど。さて僕は今何度冗句と言ったでしょう。ああ、冗句なんで本気で数えないでくださいね。
「一体何の真似だ。何をしている」
 あなたはわかっているはずですよ。わかってなきゃおかしいというか。まあわかってなくても僕がやることには変わりないからいいんですけれど。まあわかってないでしょうしね。あれ、わかってるんでしたっけ? わかってないんでしたっけ?
「黙れ冗句は嫌いだ嫌いだ嫌いだ」
「僕は」「どうして」
「感情を露わにしている?」
 ああ、あんまり怒らないでくださいよ。僕は他人からはっきりとした感情を向けられるのが苦手なんですから。不得手なんですよ。これは冗句じゃないですよ。多分ね。
「出て行け出ていけでていけ恋だの愛だのくだらないくだらないくだらない」
 どうやら僕はもうはっきりとかっちりと嫌われているようですし混乱しかけているようなので、気にしないで本題に映りましょうか。余計なことを喋ってしまうのが、冗句抜きで僕の悪癖でしてね。
「うるさいうるさい」
 ――あなたは理知的だ。頭脳明晰。晦日籠を出し抜けるほどに。晦日籠の犯行を真似て、彼の犯行を隠れ蓑にして破壊活動を行ってきたように。あなたは彼のメッセージをそっくりそのまま真似た。完璧に。他人になってみせた。
「そうだ。僕にはそうするだけの力がある」
 そうそうそうそう。そうですね。晦日を殺して晦日になる。晦日を天田和良にする。自分を被害者にする。成り代わる。それでいて佐藤一郎氏や彼の家族全員の記憶を破壊し再編し認識を改めさせることもできる。力がある。破壊と創造は表裏一体とはよく言ったものです。あなたは自らの手で見事に体現している。
「だからなんだと」
 言ってみますか。じゃあ急ぎましょうか。
 他人に成り代わることができるほどの頭脳と力を両立しているあなたは、では本当に『あなた』なのか? 天田和良なのか? と僕は訊いているのです。
「僕は晦日籠だ」
 ええそうでしょうそうでしょう。今はそうですね。それでもいいですよ。今は晦日籠。前は天田和良。ではその前は?
「…………?」
 あなた、天田さんの前は誰だったのですか?
 誰です誰です誰ですか?
「そ……」
「僕はその時何を言おうとしたのか」
「口から漏れたものは、空虚だけだった」
 あなたは自分のことを天田和良であり、現在は晦日籠であると言いました。可能性は? あなたが晦日籠になる前、天田和良であった、その前。天田さん以外の『誰か』であった可能性は?
「ぼく」
「は」
「ありえない」
 記憶すらも破壊して創造できるのに?
 石を削り出して立派な石像を創るように、他人記憶さえも新しいものに置き換えることができるのに?
 自分の記憶も削り変えることができるのでは?
 誰かだったあなたが、天田和良になるために、記憶と作りだしたのでは?
 その体も自分が破壊して作り変えたものなのでは?
 あなたはこれから、完全に晦日さんに変わるために、記憶を改変させる気になるのでは?
 これはまだ覚えていますか?
 晦日さんに隠れてあなたはたくさんの人を殺しました。
「人を、壊した……」
 壊した壊した壊した。
 あなたが言うならそうなんでしょう。あなたの中ではね。
 あなたが言う壊したってのは世の中では殺したってことなんですよ。
 あなたはずっと壊したとしか言いませんでしたね、そういえば。
 殺したと認識していない。
 あなたは殺したんですよ。
 たくさん殺しました。
 何十人と殺しました。
 それだけの数。
 たくさんの数。
 晦日以前に殺しているのなら。
 天田以前に殺しているのなら。
 その中の誰かが、あなただったとしても、おかしくはないでしょう?
「だって」
「僕が」
「晦日になろうとしたのは」
 なろうとしたのは?
 なんですか?
 言いたいことがあったら言いましょう。
 僕とあなたの仲ではないですか。冗句ですけれど。
「…………」
 なろうとしたのは?
「……わからない」
 でしょうね。
 でしょうよ。
 でーしょーうーよー。
「僕には幼少の記憶があまり、ない――」
 あなたの記憶能力は完璧だというのにも関わらず。
 もしやそれは、あなたの記憶が。
 既に自分によって改変されているからでは?
 意図的に、忘れたものだからでは?
 その可能性はどのくらいですか?
 頭の良い天田和良さん。頭のいい人。
 さあ、計算してみてくださいよ。
 お得意でしょう?
「ぼく、は」
 気付きましたか?
「ぼく、」
「は」
「つごもり、」
「ではなく」
「あまた、」
「ではなく」
 じゃあ、
「だれ?」
 あなたは、
「僕は、」
 「だれだ?」



 僕は、
 隠居庵が笑っているのを。
 嗤っているのを。
 哄笑しているのを。
 確かに。
 見た。
 真紅色に染まる世界の。
 中で。






 銀色の閃光が閃いた。文字が被っているけれど、実際の印象はこの通りだったので仕方がない。
 僕の目の前にいたはずの天田和良さん――あるいは晦日籠と言うべきかもしれない彼女は、僕から離れた。
 僕の『仕事』が終わった時には、頭を抑えながら後ずさって、何かを言おうとしていたようだった。
 口は開かず、代わりにもうひとつの口が喉に開いていたけれど。
 うーむ。
 やっぱり、ほら。戦場で足を止めたら駄目ですよ。
 それだけでなく、亡霊の声まで聞いちゃったら。亡霊の声に耳を傾けてしまったら、あとはもう悲劇しか待っていないのだから。死者の足を掬われる。お母さんに怪談噺を聴かせてもらわなかったのだろうか。僕の場合は姉さんだったけどね。ハムレットだったかな。
 銀色によって裂かれた首を抑えながら、《破壊魔》は倒れた。膝から崩れ落ちた。鮮血色の鮮血を吹き出して。顔にはかからなかったけれど、上着やインナーにはたっぷりと付着した。
 あーあ。これももう着れないな。最近は服、主に上着の消費が激しくて困る。どいつもこいつも物を大事にしろと文句を言いたくなる。何、いつもの冗句だ。
 足を掬われた兵士はそのまましばらくすれば息絶える。
 目の前に目を向けた。
 《破壊魔》の背後、だった場所。
 死者――伏見山観夕は赤を滴らせた刃物を携え、佇んでいた。
 いつものように『無』そのものだった。
 いや、完全な無じゃない。こちらに敵意を向けているのが、経験からわかった。ああ、これは後で来るパターンだぞ。
「僕の名前は隠居庵。《サナトリウム》のしがない調査員です」物言わぬ死体となりつつある天田さんに名乗った。聞こえているようには見えないなけれど、約束は約束だから。
 冗句かどうかわからないライン。
 そのうち頬が痛みを訴えていることに気づいた。
 いかんな、と顔を手でぐにぐにと解す。これで元通り。やっぱり歪な笑いのままだと色々アウトだものね。
 晦日籠であり天田和良だった彼女は血が少なくなったのか、力を失って倒れている。目が虚ろになり体の末端がふるふると震えているのを見るに、失神しようとしているようでもある。
 まだ死んではいないというだけで、これから死ぬ予定であることはほぼ間違いない。観夕は徹底的にやる奴だ。僕は然程人体に詳しいわけでもないけれど、頸動脈までしっかりと刃をいれているのだろうし。
 経験が違う。
 観夕はこれまで何人も何十人も殺しているしこれから何百人と殺していくだろう。ヒトを殺したことがなく、壊したことしかないあなたに。
 殺せるはずがないんだ。
「観夕、お疲」
 れ、という最後の一文字が言えなかった。
 正確には、『言わせてもらえなかった』。
 死にかけの《破壊魔》の体と拡大していく血の池を軽々と跳び越え、その勢いのままに、拳が飛んできたからだ。
 きめ細やかな肌で作られた拳は、やはり予定調和のように僕の頬にクリーンヒットしたのだった。
 後ろに大きな力がかかり、バルコニーの塀を軽く飛び越えてしまいそうになるが、ぐっと堪える。また跳び落ちるなんて御免だったし、この下は鬱蒼と木々が生い茂っていて、どうなっているかもわからないのだ。
 なんとか耐えきった僕は、当然の疑問を投げかけた。
「なんでや!」
 勝利の余韻に浸るシーンだっただろ、今!
「隠居庵、わかっていたでしょう」
 氷のような瞳が僕の顔を真正面から射抜く。そうまっすぐ見つめられると照れるな。恋に落ちてしまいそうだ。
 冗句っすけどね。
 血まみれな僕とは違い、全く綺麗な姿でいる観夕。いつもの外套を失って、比較的ラフな格好になり、多少の埃を被ってはいるけれど、目立つ汚れはない。体中にナイフシースやホルスターを装着しているので、小奇麗というよりは『ダイ・ハード』って感じだけど。自分の生み出した言葉ながら意味不明だ。
「何のことかな、ととぼけてみる」
「あれが床を壊すように誘導した」
 おっとっと。
「偶然だよ偶然。僕にそんな頭と力があるとお思いか? それとも証拠でもあるのかい」
「下の階にマットレスが敷いてあった。たくさん。真っ暗闇になるように窓という窓、穴という穴にダンボールが貼られてた。目張りされてた。どこも鍵が閉まっていたのに遠回りするような道だけは鍵が開いていた」
「おおー」
 流石に。明確な証拠がなくても、観夕でも気づくよな。うん。
 どのように誘導したのかまではわかっていないようだけれど、結果からその程度は観察し洞察できるようだ。
 何より、具体的な証拠なんて、僕らには要らないもんね。
「正解だ、パーフェクト。一等賞をプレゼントしよう。何がいいかな」
 殴られた。
 また落ちそうになって、大変嫌な汗が噴き出した。
 次いで膝蹴りが飛んできた。また頭をやられると思ってガードを固めたら、今度は腹だった。そりゃ膝から来るとわかってれば腹だよな。でも僕の体育の成績は一なのだ。その直前に頭をやられてたら、連続攻撃に耐えるよう反応してしまうのは仕方ないことなのだ。だからわからなくて当然なのだ。
 ……冗句じゃないのが悲しいし、腹に打撃をもらったので一気に気分が悪くなった。吐きそう。超吐きそう。胃が裏返りそう。ただでさえ血の池から不快な匂いが漂っているのに。
 観夕は肉体言語を振るうことに満足したのか、背を向けて歩き出した。
 途中で立ち止まり、こちらを見ずに言う。
「落ちるとき、ちょっと怖かった」
「…………」
 意外と可愛いところあるじゃねーか。
 無表情で暴力を振るった後でなければ最高だったのに。
「帰る」
「おう……」
 体をくの字に曲げたままなので、僕は許可する他なかった。後始末は僕かよ。
 ううう。
 どうせこの後片付ける人たちが来るのだから、いっそのこと本当に吐いてしまおうか。その方が楽なんじゃないか。死体という最高に汚いものが転がっているのだから、吐瀉物があったとしても大して変わらないだろう。
 まったくあの暴力娘ときたら、加減というものを知らない。
 殺されていない時点で加減はなされているのかもしれないけれど、もうちょっと、こう、小突く程度でもいいじゃないか。ああ、胃液が腹の中で家庭内不和を起こしているのがわかる。
 胃液くんが俺は東京さ行くだ!行って体の束縛から自由になるだ!と叶わぬ儚き夢を抱えて僕の喉から飛び出そうとしたところで。
 突風が吹き抜けた。
 それがあまりに強い風だったので、僕の体は揺られ、倒れそうにもなった。コンクリ床に《破壊魔》の血が池のようになっている。ここで倒れると、今よりもっと悪い格好になるので、踏ん張った。
 なんだか直接対決している時よりもずっと、体を張っているような気がする。
 僅かに家庭内暴力のことを忘れ。
 顔をあげると。
「晦日籠――天田和良は死んだのかね」
「……どなた?」
 人の気配なんて、なかったはずなんだけど。
 黒尽くめの人物が、天田和良を挟んで向こう側に。
 しゃがみこんで天田和良の顔を覗き込んでいる。瞳をじっと見つめているようにも見えた。
 この男、どこから入って来た?
「彼女の物語は然して面白い物では無かった。当然と言えば当然であるが――いやいや然し。決して弱い物語では無かったのだよ」
 声は低い。それでいて響くような、謳い上げるような色の声だ。
 あれは紳士帽――シルクハットか?
「なあ。決して弱くなかっただろう? 口虚歪」
「っ」
 彼は静かに立ち上がった。
 まるで影のようにするりと、気配なく立ちあがるものだから、僕はその動作が見えなかった、ように見えた。
 いやしかし。
 そんなことより。
 今こいつは何と言った?
 なんと呼んだ?
 僕のことを。
「隠居庵と呼んだ方がいいかね? どちらで呼ぶべきなのか、読者の私としては非常に悩む所だ。とても厄介な登場人物だよ、君は」
 丸い眼鏡が、月光を反射してきらりと光った。
 その男は――実に不思議な、言い換えて奇妙で、時代に合わない格好をしていた。
 先程も確認したシルクハットとバネ式鼻眼鏡は言うまでもないけれど、ケープの長い大時代的なインバネスコート。外套の中には白いブラウスと、細い紐で形作られた蝶ネクタイが見えた。
 コスプレ、にしか見えない。少なくとも僕の生きる現代、この国の文化では。
 晦日籠のような黒尽くめではなく、きちんと整った黒尽くめとでも言えば良いのだろうか。
 なんだ、こいつは?
 何者なのだ?
 そもそもここにどうやって入ってきた?
 どうして、ここに現れた?
「天田和良は――」
 細面の男は、口を半月型に歪め、笑みを湛えたまま口を開く。
 目の下に出来た大きな隈が、異様だった。
「何を世界の拠り所としていたのかな?」
「……な、ぜ」
 それを。
 知っているのだ。
 口の中から水分が退いていく。砂漠のように乾いていく。
 僕と吉原遊女しか知らないそれを。
「知っているかと訊くか、隠居庵、口虚歪。私は《読者》だからだよ。此の世界と云う巨大で長大な物語の読者だ。だから君が如何にして《破壊魔》であった彼女を破壊せしめたのか、実の所全て解っている。物語を読み解く読者であるが故に、全て解ってしまうのだよ」
 確かに。
 僕は《異常者》をある意味で殺すことができる。
「《言喰み》。言葉を己の物とし自在に遣う、詐欺師。君の言の葉は耳の様な濾過装置など意に介さず、他人の内に潜り込む」
 脳の九十八パーセントを制御しているのは、言語中枢神経だと言われている。
 言葉をそのままの意味で、相手の心のような何かと、そこに直接お届けする。相手の価値観など人生観など世界観など関係なく、元の意味のままに。僕の意味のままに。言葉を与える。
 それが僕の《異常》。
 僕は《異常者》。人間ではないモノ。世界から見放された物。許されていないモノ。
「君は識っている。《異常者》が世界の、物語の拠り所にしている物を奪ってやれば、己を保つ事が不可能であると、識っている。不断彼等が絶対に意識しない、意識しては己を保てない其れを、奪える事を、識っている」
 この影のような男は。
 この鴉のような男は。
「誰もが己の根源と、己の拠り所を知れば。己の立っている場所が余りに脆く、不格好である事を理解させられて尚、平静で居られる者はおるまい。剰え平静で居られぬと言うのに、其れを見せられ目前で奪われると、如何なる? 明明白白、目の前に転がって居る」
 彼は《破壊魔》だったモノを目で指して、くつくつと笑った。
 本当に楽しそうに笑っている。
 まるで、『楽しい物語を読んでいる』かのように。
 僕は、言葉を発することができなかった。
 自由に発することができるはずの言葉を発することが。
「然し君は、《異常》の理を識っているのに、生きて居る。君自身も過去に壊されたと言うのに、まだ生きて居る。中々如何して。面白い物語だよ、君は。生きて居る心地はするか、訊いても?」
 まるで読者のように、全てを識っているかのように。
 ――本当に、識っているのか?
 僕の全てを。世界の全てを?
 僕が二度死んだこと。
 二度目は死ねなかったこと。
 三度目の自分で、自分でないこと。
 認識しているのに、破壊されたのに、何故生きていられるのか。
 だから《サナトリウム》に遣われていることを。
 この男は、全部知っているのだろうか。
 知っているかのような、口ぶりで。
 決して冗句ではない、冗句にはならない、それらを。
「――あなたは、」
「話が長くなった。そろそろお暇させて頂こう。《読者》が彼是指図すべきでは無いからね。何方道、私は彼と彼女に『失望』したのだから。……嗚呼、此れを持って行き給え」
「は?」
 男は懐から取り出した何かを、こちらに投げて寄こした。
 慌てて受け止め、手元を見ると、それは一冊の手帳のようだった。『Diary』と筆記体でプリントされているので、恐らく日記帳であることがわかる。
「私の名は百面相九郎と云う。君が失望させぬ事を祈って居る」
 唐突な名乗りに反応して顔と目を上げる。
 けれど、そこには誰もいなかった。
 ひゅう、と微かに風が吹き抜けるのみであった。
「……ドコムク、クロウ?」
 一体どんな名前だ。偽名か本名か判別がつかない。
「なんだってんだ、マジで」
 心から嘘なく冗句なしで。
 そう思った。
 妙な予感があった。
 何か悪寒が走るような。
 それの正体が何かはわからずとも。
 確かな予感はあったのだ。



了。