0.彼女の奇妙な愛情
作:宴屋六郎
「愛しちゃってるのよ、この世界を」
一 愛子(にのまえ まなこ)は言った。
その時僕は、いったいどんな顔をしていたのだろう。
秋のことだった。
冬を予感させるような寒い日と、夏の名残を感じる暑さが交互に訪れる、それでものらりくらりと真冬へと進んでいく、気持ちの悪い季節。
彼女は華やいだ女子高校生で、僕は冴えない男子高校生だった。
正確に表現するならば、「冴えない」というのも少し語弊があって、本当に地味なのかと問われるとそこまでもなくて。
いわゆるクラスの中でも浮いていたり、仲間外れにされている存在、というわけでもなかった。
虐められたり迫害されるほどの対象でもなく、何の異常もなく、皆が想像し得る「普通の学生生活」を送るような、マイナス方向での「特別」にもなりきれないような、「普通」の人間。
それが僕だった。
普通に普通を掛け合わせたあとに普通で割ったような、まさしく普通の人間だった。持てる能力のすべてが平均的で、すべての要素がアヴェレージで。
だから冴えないという言葉の示すモノと僕の間には、曖昧だが大きな壁が存在した。
僕は自分のことをよく理解しているつもりだ。立ち位置や性質を、しっかりと。
いつ頃から自分が何にもなりきれない「普通の人間」なのだと自覚したのか、正確な時期は思い出せない。ただ、わからなくなる程の昔から、自分のことが嫌いだったんじゃないかなと思う。
わかっていて、嫌いにならないはずがなかった。
僕は僕のことが大嫌いだった。
どこまでも普通で、どこにも行けない自分。誰かに著しく劣ることはなくとも、勝ることも絶対にない。何もできない自分。
自覚してなお、抜け出せずに、ひたすら誰かを羨んでいる。
そんな人間が、どれほど醜いことか。
酷いと自覚している自分と比較するのも失礼な気がするけれど、対して、彼女はどうだろうか。
同じクラスのニノマエさん。一愛子。
空間を共有していても、彼女と僕の間に共通するものは一切ない。
有体に言えば、彼女は人気者だった。
ただ単に人気者と言うにはやはり語弊があって、彼女の人気ぶりは、「人気がある」と呼ぶにはいささか表現不足であるように感じる。
彼女は――それはもう、すべてから愛されていた。
ニノマエさんが、美のつく少女であったということも影響しているかもしれない。だけれど、彼女にはそれ以上の何かが存在していた。いったいどんな才能があるというのか、彼女はどんな人間からも愛されていたし、どんな事象からも愛されていた。まるでこの世界すべての要素が、彼女のために動いているかのようだった。
周囲の人間は当然彼女のことが好きだったし、関わり合いのない人間ですら、彼女に好ましげな、ひどく優しい視線を投げかけていた。
彼女が笑えば周囲の顔も明るくなり、稀にしか起きない現象ではあるが、彼女の気分が沈んでいれば、周囲もまた底なし沼のようにどろりと沈む。
周りへの影響力も、絶大だった。
――彼女は本当に楽しそうに生きていた。
人生を楽しんでいるように見えた。少なくとも、僕の目からは。
僕はそんな彼女のことを見つめているのが、好きだった。
天真爛漫、羞月閉花、ありとあらゆる言葉を尽くしても表しがたい美少女を、彼女に及ぶべくもないヒトが、遠くから見つめる。我ながら、なんと気持ちの悪い構図だろう。
けれど、僕は彼女のことが好きだった。
これは恋愛感情ではなく、あえて何かに例えるのなら、偶像崇拝に近い。みているだけで十分なのだから、ファンって感じだ。
自信はないけれど、たぶん。
誰にも言わず、知られず、静かに、見つからぬよう見つめていた僕だったが、幾度か彼女と目があったことがある。
冴えないことにもなりきれない、こんな気持ち悪い僕にさえ、彼女は笑顔をくれた。
そう、くれたんだ。
僕はこれまで、他人の表情を見て、何かをもらったと感じたことはなかった。
けれど、彼女の微笑みはまるで天からの授かり物のような、錯覚を覚えたのだ。
何をしても、人に影響を与えずにはいられない。
一愛子は、そんな人間だった。
僕はいつも、彼女を羨望の目で見ていた。
他人を羨まずにはいられない、自分が底抜けに浅い人間だということはわかっていても。