1.延性破壊

作:宴屋六郎





誰かと関わりたいということではないけど誰かと関わっていなければならない。




 壊すことが大好きなのだと気づいたのは、自意識すらおぼろげだった頃のように思う。
 壊すことというのは、別に何かの例えでも何でもなく、ただシンプルに壊すことが大好きだったのだ。
 壊すと言えば、本当に何でもいい。
 鉛筆を折ることでもクレヨンを折ることでも紙をびりびりに引き裂くことでもグラスを割ることでも人形をぐちゃぐちゃ引き千切ることでも、本当に何でもいいのだ。
 何でもいいから壊したかった。既に完成された、一個の『もの』がシンプルな形に、単純で歪な形に戻っていくのが楽しくて仕方がなかった。
 だから自分のモノはよく壊した。
 両親が買ってくれた色鉛筆やクレヨン。お絵かき帳なんかも全部壊してしまった。父や母に対しては、幼心に申し訳ないと思っていたが、それでも欲望に忠実だった僕は止まることを知らなかった。その時は我慢をするということを知らなかったのだから仕方ないとも思う。
 父や母には隠していた、ように思う。家で壊すことはなかったのも、そのためだろうか。もっぱら幼稚園の中で自分の持ち物を壊していた。壊したものはゴミ箱にぽい、なんてことはしない。持ち帰って眺めていた。
 ものを壊すことは良くないことである、と子供であった僕でもわかっていたので、やはり両親には隠していたが。
 良くないことであるとわかっていても、壊す行為そのものは止められなかった。子供だったから余計に。自分の持っているものは大抵壊した。
 同時に僕は、違うとも思っていた。不満を感じつつあったのだろう。今の僕ならわかる。大人になり、自らの欲望に対して自覚的になった今の僕なら、あの時の自分のことをよく理解できる。
 なぜなら今の僕は欲望に忠実でいて、なお制御しているからであり、欲望ははっきりとしているからだ。
 自分の所有物ではいけない。
 自分のモノじゃあ、駄目なんだ。
 同じく幼稚園くらいの時分だったろうか。
 僕は昔から友達の多い子供だった。
 友達を作るのは存外簡単であるということ。大抵の人間は他人と繋がりたいと思っているから、ちょっと勇気を出して近づいて行けばいいだけだ。
 近づくときは大胆に、それでいて鬱陶しく思われぬように。
 頭ではわかっていても、自分の臆病な心には逆らえない、と大抵の人が思っていることも知っている。だからこそ、他人が近づいてくれば喜んで受け入れようとする。それを利用するだけで、「友達」を作ることはできる。あとは好みの問題だ。
 最も、僕は心からの友達になった、なんて思っちゃいないけれど。
 みんなもそうだろう。他人も己も「友達」という蓑に隠れた上辺だけの繋がりだと理解している。その上で笑いあって、友情を確認しあっている。普段は目を背けて。
 その感情が偽物であることを心の奥底では理解していながら、無視していられる人間というモノ。とても面白いと思う。
 そして、壊したいと思った。
 ――話の道筋が逸れた。元に戻そう。
 自分のモノを壊し飽きた僕は、欲望の矛先を他人に向けた。
 別に幼少のころから猟奇的な欲望を抱いていた、というわけではない。
 ただ、他人の持っているモノが『まだ壊れていない』というのが気に入らなかっただけなのだ。
 いつかは壊れるものを大事にしている。その大事にしているものを、壊れるのを、もっともっと早めてやりたい。一瞬で壊してしまいたいたかったのだ。
 欲望に何となく気づいていた僕は、ある日同級生の『友達』に声を掛けた。
 男の子の持っていた、ロボットの玩具。
 壊したくて仕方ない、『まだ壊れていないモノ』。
 自分のモノではいけない。あの女の子の持っているものを壊さなければならない。
 僕は言った。

「ねえ、それ壊してよ」



失望奇譚集―壊虐奇談1
*******



「それ、壊してよ」
「無理」
 黒々とした闇の中。
 マグライトで照らした大きな金属扉を見て、無慈悲に彼女が告げた。
 誰もいないはずの場所で、扉の閉まる音がした。だから急いで音も立てずに駆け付けたというのに、それじゃあ調べようがないじゃないか。まさしく骨折り損のくたびれ儲けって感じだ。
 僕はやれやれと頭を振った。
「そうは言うけど。鍵は」
 おっと。当然のように反撃が飛んできた。むしろ僕の最初の一言が間違っていたことを指摘されても不思議ではなかったのだけれど。
 彼女――伏見山観夕も、随分と暴力的な女の子だからなぁ。
 ジーンズのポケットから目的のものを探り当て、取り出す。ほんのりと自分の体温が滲んだ、小さな金属。
 いわゆる鍵である。
 いわゆるも何もないか。
 暗闇で覚束ない手元を照らしながら、鍵穴に差し込む、が。
「合わないね。みゃこさんが用意したのとは違う種類らしい」
 当然のように当然として回らない。
 この先は職員用通路であり、外にも繋がっていることを脳が記憶していてくれた。地図は大体頭の中に入れてきた。ただ僕の薄弱な記憶力では、いつ消えてしまうかわからないものだけれど。
 ともかく、入口から外に出て回り込めば、楽に扉の向こうのことを調べることは可能だろう。しかしながら、その間に『音の犯人』は逃げてしまっている可能性も大いに高い。
 なんといってもここは廃墟――廃美術館なのだ。コンクリート剥きだしの建物の周囲は、大小様々な種類の植物が蔓延り生い茂り、人間の手から離れた彼らは自由にのびのびと人生を謳歌している。それに時刻は欠伸の出るような深夜で、隠れようと思えばどこまでも潜んでいくことができるだろう。
「役立たず」
 えっ。
「待って、お互い様だよね?」
 彼女は壊せない。僕は鍵を開くことができない。
 条件は対等だと思うのだけれど。
「私のサポートがお前の仕事じゃないの。少しは頭使って」
「…………」
 冗句だろうか。皮肉だろうか。とても判断に悩まされる。
 結局、僕が選んだのは沈黙。
 言いたいことは山ほどあったけれど、薄明かりの中で黒々とした瞳がこちらを冷たく見つめていたので沈黙を貫くことにした。決して怯えたわけではないことをここに記しておく。違うから。怖気づいたわけじゃないから。
 もう用などないといった風に、観夕が闇の中へと消える。足音は消していないので、元の部屋に戻ろうとしているのだと、僕でもわかった。僕もこんなところにずっと突っ立っているわけにはいかない。彼女の言ったようにサポートが仕事なのだし、逃げられてしまったものを追いかけても意味がないというのなら、元の仕事に戻るしか選択肢は残っていなかった。
 窓という窓には板が打ちつけられ、外の光を完全に遮断していたが、観夕は夜目が効く。今まで何度か組んだ経験があるが、闇の中を迷わずにしっかりとした足取りで歩を進めることができるのは、少しだけ羨ましく思う。まあ僕は文明の利器に頼らせてもらおう。だって、暗闇より光の方が好きだし。冗句かもしれない。
 マグライトの細い光の筒と、それに付随する丸く広がる明かり。
 僅かな、しかし絶対的な光の中でも、黒の長外套と、ゆったりとしたベレー帽が彼女の輪郭をおぼろげにしていた。彼女の背中にかかる長髪も、双眸に据えられた瞳も黒一色なので、闇の中では一層輪郭を失っている。唯一目立つのは白磁のような肌だけれど、潜もうと思えばその肌すらも闇に溶け込ませることができるのだろう。
 一分もしないほどの距離を歩き、扉が解放されたままになっている小部屋に入る。
 ちなみに他の部屋はすべて厳重に封印されている。ここだけが適当な理由は知らないし、興味なし。例の奴が壊したのかね。詳細な事情をご存知の方は下記の電話番号までお問い合わせください。
「なんつってね」
 元は小さな展示室だったのだろうか。額縁を掛けることのできそうなフックや設備だけが佇んでいた。人気は勿論ない。
 音もない。防音設備には拘っていたらしく、少し裏手の方を高速道路が走っているというのに、クルマの音すら聞こえない。しん、と静まりかえっている。
 うーん、侘び寂び。
 意味はわかっていない。
 この部屋の住人は、器具だけではなかった。
 美術品を飾るために利用されていたであろう台座の近く。室内の中央に普段はなかったであろうモノが並んでいる。
 普段はなくて、今だけは存在しているモノ。というか、あんまり存在しちゃいけないモノ。
 音もなく佇んでいるのは肉と骨と皮と。それに加えて鉄錆のような匂い。赤の池。
 湯気が立ち昇りそうなほどに新鮮な肉体だったモノ。
 音はないけどその臭いと、その姿の非日常感で自分らしさを存分にアピールしている。流行りのこだわりコーディネイトかな?
 冗句だよ冗句。
 海中電灯の光を受けて、肉はてらてらと光るし、血溜まりも血に塗れた骨も同様だった。まあ、あまり見ていて気持ちが晴れやかになる光景ではない。変態なら賭けになるけど、一般人の感覚でね。
「どう思う」
「どうって。死体じゃないか。最初にちら見した通り。どこまでも死んでるしどこまでも生きてない。まあ自殺には見えないな。少なくとも自分自身の力で角切り肉になって商品として陳列したようには見えないね」
「頭使って」
 手厳しい。
 血を踏まぬように注意しながらぎりぎりまで近付いた。全体を照らし出すようにマグライトを向ける。
 生命や体は失われているが、全てが揃っているわけではない。ここにある全ての肉や骨や皮やその他諸々内臓などといった描写の難易度を上昇させるパーツ全てをプラモデルのように組み立て接着させ継ぎ接ぎしたとしても、元の人間を再現するのは不可能だろう。
「どう見ても足りないね」
「肉も骨も皮も血液も」
 観夕が肯定する通り。
 圧倒的に不足している。人間のパーツはこんなに少なくない。それこそハイグレードとパーフェクトグレードほどに違う。細かさという点にだけ着目して言うならヴァリアブルインフィニティなのだが、ちょっとマニアックだからわかりづらいか。目の前にはどうせアドバンスグレード以下のパーツ数しか残っていないのだから。
 わっかりづらーい冗句はさておき話を戻そう。どうせ喩え話だ。気にしないでくれ。
 そのパーツ群が足りないのは一つの異常として。もうひとつ気になって頭の中をぐるぐるしている点があった。
 ぐるぐるしているからといって別に混乱しているわけではない。僕は記憶力薄弱な脳を搭載しているから、気になることは思考の外でこねくりまわしておかないとすぐに忘れてしまうのだ。
「ぜーんぶ同じ形ってのはどういうこったい」
 肉も皮も骨も。全て同じ形、同じ長さ、同じ厚み、のように見える。実際に計ったわけではないから断言は難易度が高いが、ぱぱっと見ている感じでは、全てお揃いの形だ。ペアルックっつーか、なんつーか。まるで自ら個性を破棄するティーンエイジャーたちを見ているようだ。
 流石に血液のようなある種細かいモノなどは規則から外れているが。もしかすると細胞レベルでは同じ形に壊されていたりするのだろうか。
 人間のできる技ではなかった。
 人間のできる業ではなかった。
 疑問の回答を望んでいるわけではないが、横目を観夕にやった。彼女はこちらのことを見ず、可憐な桜色の唇を開いた。仲良しこよし肉グループから目を離していない。
「それを考えるのが隠居庵の仕事」
 なばりやいをり。
 僕の名前である。
 ……人の名前を笑ってはいけないよ。
「まあ、そうだけどさ」
 仕事。
 当然のことながら合法ではない。『ここにいること』だって厳密には違法行為だ。この土地の所有者が誰なのかも知らないし、そもそも管理されているかもわかってないけど。
 もう既に違法だらけの存在である僕なので、これからさらに法に抵触する行為を行為することにした。
 法を違えているのに法に触れる、というのはなかなか面白い。違えていることが触れている、ということなのかもしれないけれど。
 マグライトを持っていない方の手――左手に提げていた鞄を白い床に置いた。僅かに埃が揺れた。
 あんまり座りたくない床だ。換気をする人間も、手段も、必要もないから仕方がないことか。
 鞄を開き、中から必要なものを取り出した。まずはスポイトのようなもの。
 予め膨らんでいる尾部を潰しておき、細長くなっている先端の吸い口を血液に接着させる。指の力を抜くと、スポイトの中に赤黒い液体が吸われていった。血溜まりは広範囲に流れていて浅いので、大した量は吸えない。まあ、こんなものだろう。スポイト専用のキャップを閉める。専用のケースに収めて鞄に戻す。これだけでいいと聞いた。少量だし凝固してしまいそうな気がするのだけれど、ツールを用意した上司が言ったのだから、間違いないだろう。もし間違っていたとしても僕は知らない知らない、説明が悪いのだ、なんて面と向かって言えないけども。
 次はビニールの袋とビニールの手袋。袋という点では同じだけれど、違うのは形。多くの事に当てはまる気がする。
 まるでジップロックだ。ロゴが入っていないだけで同じように見える。
 ビニールの手袋を手に嵌め、手ごろな場所に落ちている肉を掴んだ。まるで肉屋のような仕草で。
 血の滴る肉。ジップロック(偽)の中に手袋ごと突っ込む。そして手袋と共に封印。できるだけ空気を外に出してからジッパーを閉じた。びびび。
 新しいジップロック(違)と手袋を取り出し、同じように骨や皮を封じていく。鞄の中から保冷材だらけの小型保冷バッグを取り出して、中に収めた。これで支部に帰るまでには鮮度が保たれるだろう。なんといっても牛も豚も魚も、肉は鮮度が命。人間も同様だ。
 冗句ですが。
「終わり」
「…………」
 終了の合図を告げても観夕は言葉を返してはくれなかった。元来口数の少ない女の子なのだ。もとより返事など期待していなかったけれど、何もなければそれはそれで寂しいものがある。
 これも侘び寂びなのかもしれない。実際は寂び寂びって感じだけど。
「まだ帰るべき時間ではないし、少し考えるか」
 肉(他に骨や皮や血液なども落ちているが面倒なので以下全てをまとめて肉とする)が残っている、というのは実は珍しいケースだ。
 これまでの調査によると、「殺害現場」であろうとされる場所には大量の血液が遺されていたのだという。現場は常にこういった廃墟。昼も夜も人が滅多に訪れない場所での犯行なんだとか。
 そこには肉はなく、ただ赤色の血液のみが広がっている。血液を採取してDNA検査などを実施したところ、行方不明者として届けられていた人物たちと合致することが多かったとか何とか。又聞きなので、詳しいところはしかるべき人物に再度訊いてみるしかないだろう。
 しかるべき人物か。自分で考えておいてなんだけど、誰だろう。
 いつも血液しか残されていない場所に、偶然現れたのが僕ら、というわけではない。いわゆる『予測システム』的なものに僕と上司のコネを使って捻じ込んだだけなのだ。
 ともあれ、今回のように肉が残っているケースというのは非常にレアだ。いや別に肉の焼き方じゃなくてね。ちなみに僕はミディアムレアが好きだ。ちょっと生っぽいのが好きなんだよね。焼き肉とかさ、美味しいじゃないか。って何考えてんだ僕は。思考のレールを元に戻せ。
 まったく、自覚できる程度には悪い癖だ。えーっと。何の話だっけ。
 ――ぴと。
「……あ?」
 左肩に感触があった。布越しの小さな衝撃。
 観夕に触れられているとかそういう嬉し恥ずかしいことではない。言うなれば、水滴が落ちてきたかのような。
 危険なことだとわかっていたけれど、反射的に手で確かめていた。
 指先に伝わる感触はぬるりとしている。触覚は、粘性がある、と伝えてくる。
 マグライトを向けて、視覚で確かめた。
 血だ。
 赤色の液体。部屋にじんわりと漂っているのと同じ臭い。
 肩に当たった、ということは上から降ってきたことになるけど。
「なんと天井に死体が吊るされていたのだ! とかだったらエログロサスペンス的に面白いんだろうか」
 などと冗句を言いながら見上げ、懐中電灯の光を真上に向けた。
 観夕も僕も、同時に首を上げる。
「Simplicity is the ultimate sophistication.」
 血液の赤で文字が書かれていた。あるいは、描かれていた。
 うーむ、赤で書いているところを見るに、強調したいことらしい。
 全部赤文字だから意味ないけど。冗句冗句。
 日本人には読みづらーい筆記体の英語を日本人発音で読み上げると、隣の観夕が口を開いた。
「意味は」
「シンプルさは究極の洗練である」
「聞き覚えは」
「レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉だったかな。どこで、どうして、どんな状況で言ったのか、あるいは残したのか書いたのか、全然知らないけどね」
 ダ・ヴィンチって確かイタリアの人じゃなかったか。だったらイタリア語で書けばいいのに。何か他に意味でもあるのだろうか。
 僕は英語はかろうじて読めるけれど、もしイタリア語で書かれていたら意味がわからなかっただろうな、と幸運に思った。
 しかし、こういうのは聞かなかったな。把握していなかったのだろうか。警察の人なら知ってそうだけど。これも要調査だ。
 調べることと気になることはどんどん積もっていく。まるで山の如しだ。いつかはエベレストほどにもなってしまうのだろうか。そうなれば登山するしかあるまい。そこに山があるから。
 自分でも意味不明である。
「ねえ、観夕」
「何」
「これ、どうやって書いたと思う?」
「さあ」
「脚立で登って刷毛を振るった、ようには見えない」
「そう」
 脚立になりそうなものなんか見当たらない。台座に登ったところで届かないだろう。身長二メートルを超える巨漢ならともかく。
 廃美術館の構造の影響を強く受けて、床から天井まで四メートルくらいはある。巨漢が台に登ったところで、あんな見事な筆記体で英語を描けるわけがないのだ。
 まるで一種の芸術のように、美しい文字で。
「……美術館だけに?」
 阿呆みたいだ。
 肉が残っているということはつまり、殺したてってことだ。犯人は何らかの方法で殺害した遺体を隠すこと、ないしは消失させることができる、と仮定しておく。
 殺したてであるというのに、天井には文字が残されていた。しかも焦って書いたようなものではない。
 殺害と同時に文字を残した。
 殺すと同時に文字を書く、ってのは。
 現実的ではないけれど。
 非現実的であるということにはならない。
 どうやってそれを行うかはわからなくても。
 僕はそれらを可能にする方法を知っている。
「むーん」
 冗句じゃないのが残念だ。
「《異常者》の仕業と見てほぼ間違いないかね。そもそも僕らがここにいることが、《サナトリウム》の疑いの目そのものなのだけれど」
「そう」
 薄い肯定の意。
 ……やっぱりあの謎の人物かなぁ。僕らが物音に注意せずに、廃墟に侵入したことに気づいて、逃げられてしまった。
 これを行った相手と、突然、直接、面と向かい合うなんて恐ろしくてできないけどさ。
 ただの目撃者という可能性もないわけではない。肝試しには最適な場所だろうし、若者であれば自らの勇気を試していたとしてもおかしくはない。それにしたって一人でやる意味がないけど。足音は間違いなく一人のものだった。
 それに、こちらは別に威嚇したってほどでもない。ああいや、でも、廃墟で自分以外の足音が聞こえたら――想像すると、背筋が冷えるものがあるな。
 仮定の話はやめにしよう。
 さてさて、調べるものも調べたし、回収するものも回収した。あとは帰るだけかな。
 と、観夕が僅かに身じろぎした。
「隠居庵」
「なんだい伏見山観夕」
 フルネームにフルネームで返したけれど、相手の名前が圧倒的に長いので不利。即時撤退。
「誰か来る」
「なんだって?」
 聞き返した途端に足音。鋭い音ではない。だから革靴ではない。運動靴か作業靴か安全靴。恐らくは安全靴。
 というか館内の足音が聞こえる前に彼女は何を聴き取ったのだろう。
 この無駄に整った防音設備の中、クルマのエンジン音やドアの開閉音でも聞こえたのだろうか。
 うーむ、この娘は化物じみている。
「誰かいるのか?」
 僕の声でも観夕の声でもない。低い声。大人の声。
 はっきりとは聞こえなかったが、それに類する言葉だということだけは、僕の頭と耳でも流石にわかった。
 懐中電灯と思しき太い光が、時折こちらの部屋の入り口まで到達する。あらゆる場所を照らして確認しているのだろう。同様にがちゃがちゃと、他の小部屋のロックを確認する音も聞こえてくる。
 光も足音も複数。
 迷いのない足取りと、施錠の確認。
 警察官か、警備員か。
 どちらの方が運が良いのだろう。入口に鍵をかけてこなかったのが悔やまれる。過去の自分を拷問に処しておこう。過去の自分は今の自分なのだから、つまり自分を火にかけ、湯にかけなければならない。うーむ、それは嫌だな。拒否しておこう。こんなときにもつまらない冗句が止まらない自分の思考に乾杯。どっちかっていうと完敗って感じだけど。
 しかしだな。
 通報がなければ、こんな管理することを放棄された場所に、彼らが現れるはずがない。
 やはりあの謎の人物A(BでもCでもαでも可)か。
 全くの第三者、近所の住民というのもなくはないが、可能性としてはかなり低い。
 痴呆老人が突然思い出したような感覚で、ぽつんぽつんと家屋が建ち、他は田圃だらけというステレオタイプなこんな田舎で、たまたま僕らを目撃する可能性? 考えるだけ無駄だ。
 何故そんな寂れた場所に美術館が、ということを疑問に思われるかもしれないけれど、僕はただ困ることしかできない。どうしても気になるなら、やはり下記の電話番号まで以下略。
 無駄無駄したことを考えている内にも足音は確実に近づいてくる。それはあまり速くはなかったけれど、決して遅くもなかった。つまり普通の歩行速度。警戒はしているようだ。
「誰かいるのか?」
「…………」
「…………」
 はっきりと反響する声。最後の方はいるのか? いるのか? いるのか? って感じだった。面白い。
 冗句だ。
 僕は出来得る限り声を小さくするようにして、言葉を絞り出した。
「入口からここまで一方通行。奥の扉は施錠されたまま。開かないし、壊せそうにない。美術館ではあるけど、展示物や展示台の多くは取り払われていて、隠れる場所もない」
 自分のマグライトは既に電源を切っている。真黒な闇の中、僅かでも光を漏らせばここに来るだろう。
 そうでなくても、順番に施錠を確かめているのだから、扉が開いたまま動かないこの部屋は当然中身を検められるだろう。まるで中学生の荷物検査みたいだ、と冗句を口の中で紡いだ。
 苦し紛れに姿勢を低く保ったまま、僕らは情報を共有する。闇の中に隠れるのはどうか、と提案するも、早々に却下される。
 自分でもよくわかっていた。彼らは光源を持っている。懐中電灯を持っている。酷く可能性の低い賭けになるだろう。ほぼ出来レースだ。いや、こういう場合その喩えは相応しくないか?
 ない脳味噌を絞り出して考えるが、特に何も思い浮かばない。
 あー、もっと勉強すれば良かった。もっと頭が良ければなぁと際限ない後悔が頭を突き回す。
「殺す」
「待て待てマテ茶」
「なに」
 くだらない冗句で精神を和ませようとするも失敗。結構渾身の出来だったのに。
「そんなに簡単にヒトを殺すなよ」
「簡単だけど」
「そういう意味じゃねー」
 この脳筋娘と話していると、頭を抱えたくなる。無駄に動くと無駄に音を立てる可能性が無駄にあるので無駄に動けないから無駄にやらないけど。
「なら代案。考えて」
「うーむ」
 ぽくぽくぽく。
 ちーん。
 といった感じに閃けば良かったのだけれど。
 現実はそう甘くはない。
 僕の頭に平和的な解決法が浮かぶわけもなく。
 何事もフィクションのようにうまくいくはずもなく。
 というか最初から選択肢は酷く狭く、どころか一つしかなかったわけで。
 僕らが見つかることそのものはどうでもいい。圧力と揉み消しは《サナトリウム》の十八番であり、僕らの目撃証言など、なかったことにできる。なかったことにもできるし、あったことにもできる。それが僕ら《サナトリウム》。
 けれど、彼ら――警察官にしろ警備員にしろ、こんな猟奇殺人の現場としか思えないような場所に佇む少年少女、というのは間違いなく保護対象、補導対象である――に捕まって取り調べなどで時間を取られるのは、些か不味い。《異常者》のものと思われる犯行を知ってしまったので、動かなければならない。僕としてはもっとゆったりと日々を過ごしたいものだけど、一応お金をもらっているのでそういうわけにもいかない。
 全く、世知辛い世の中だ。辛いよりも、和菓子のように、控え目な甘さであって欲しいものだ。
 現実逃避終了。
 真面目に脳味噌で吟味しなければ。
「…………」
 逡巡。
 迷い。
 二つの言葉と事実。
 頭の中を駆け回る。
 恐らく彼女は既に心に決めている。
 間違いなく彼女は既に心を決めている。
 僕の判断など、最初から必要ないのだろうけれど。
 待っている。
 待っていないようで、待っている。
 だったら。
 僕も。
 もう。
 やるしか。
 ないわけだ。
 僕はごくごく小さな声で、囁くようにして言った。
「殺そっか」
 大変申し訳ないことだけれど、お悔やみ申し上げる。
 死んでもらおう。
 亡くなってもらうことにする。
 警備員警察官の死よりも、市民の命が優先なのだよ。冗句かどうか微妙なラインだ。
 事実、僕らの調査の滞りは無辜の市民の死を意味する。ここまで何件も殺人を重ねているのだ。間違いなく『次も殺る』。
 罪のない市民のためなら、彼らは命を惜しまないだろう。個々人に意識の差異があるだろうけれど、アンケートを採っている暇はない。
 ちなみに僕は絶対に嫌でーす。
 冗句か。
 残念なことにね。
 彼女を見る。
 観夕を見る。
「…………」
 観夕は何も言わなかった。
 観夕は何も反応しなかった。
 息もいつものように。
 静かに。
 所作もいつものように。
 厳かに。
 空間は静寂であり。
 彼女は寡黙だった。
 静寂の中で寡黙。
 空気というルールの中で静かに静かにしていることが彼女にとっては何でもない。
 音もなく、懐から『それ』を取り出し、シースから抜き放った。
 暗闇の中で本当に僅かな光を返す、銀色の刃。
 ナイフという凶器。
 ナイフという狂気。
 一見すると果物ナイフのようにも見えてしまう頼りなさげな作りだが、そんなことは問題にならない。
 彼女が。
 『伏見山観夕が刃物を握っている』。
 その事実だけで十分だった。
 その事実だけが必要だった。
「誰かいるのか?」
 はっきりと認識出来る声が響く。もうかなり近い。ひょっとすると、一個手前の場所だったりして。
 僕は口を開いた。できるだけ小さくしていたものから一転、普段は絶対に開かないだろうというレベルで大きく。
「ここにいますよ」
「…………!」
 あまりに近い場所だったからか。彼らの足音も止んだ。返事を求めるような声を挙げておきながら、言葉が帰ってくるのは、そんなにも意外なことだったのだろうか。
 まるで冗句みたいな話だ、とぼんやり思う。
「……誰か、いるのか?」
「…………」
 今度は確かに確かめるような声で。
 疑問の色が強い。
 恐る恐る、といった感じか。
 僕は返事をしなかった。
 彼らはもうどこに行くべきかわかっているだろうし。
 退くわけにもいかないだろうし。
 そもそも僕が声を出すまでもなく。
 ここに来る他なかったわけで。
 また同じような声を挙げながら、足音が再開された。
 懐中電灯の無機質な光が、入口を冷たく照らし出す。
 先程の声と同様に。
 恐る恐る、という感じにゆっくりと人影が揺らめいた。
 観夕は僕の手からマグライトを受け取った。横に構え、間髪入れずに点灯。
 そして。
 サイドスロー気味にそれを投擲した。
 ライトセーバーのように光の柱を伸ばした筒が、くるくると飛ぶ。光の柱もくるくると回る。まるでライブハウスの演出照明のように、場違いで、目まぐるしい灯りだ。
 警備員たちの目がその光を追う。光が彼らの網膜を焼く。元々懐中電灯を所持していたようだから、大した目くらましにはならない。暗順応しきってる相手には効果覿面なんだけどね。僕みたいなのとか。視界の中で黒いものがちかちかする。
 だけれど、飛来物というのは関係なく人の目を引くものだ。
 同じく暗順応しきっていたであろう観夕はというと。
 マグライトを手から離した瞬間に、彼女は床を蹴っていた。白く無機質で、埃まみれでざらついた、床。
 彼らから目を離さずに、一瞬で距離を詰める。回転するマグライトは彼女の目をも容赦なく灼いている。
 しかし、彼女の眼は眩まない。
 それどころか彼女の目は、瞬きもせずに、しっかりと見開かれている。
 関係ない。
 光源など暗順応など明順応など。
 関係ない。
 観夕はそんな軟な目など持っていない。そんなつくりをしていない。
 けれど。
 たとえ目が眩んでしまったとしても。
 彼女にとっては、それこそ、もっと関係がないのだ。
 もっと関係ないこと。
 観夕にとっては、果てしなく関係のないこと。
 目が見えなくても関係がない。
 一度認識さえすれば。
 彼女は解っている。
 圧倒的に解っている。
 この場の誰よりも解っている。
 この国の誰よりも解っている。
 世界中の誰よりも解っている。
 ひょっとすると、神様よりもよく解っているかもしれない。
 圧倒的に理解しているのだ。
 人の殺し方。
 人の死なせ方。
 どうすればヒトが死ぬのか。
 どうやればヒトを殺せるのか。
 たとえ目が見えなくても関係のないこと。
 彼女がやろうと思えば。
 ヒトを殺すことができる。
 殺し方を理解している。
 どのように足を運び。
 どのように筋肉を動かし。
 どのように腕を振るい。
 どのように刃を持ち。
 どのように手首を回し。
 どのように力を入れ。
 どのように刃を流せばいいのか。
 全て理解している。
 どうやれば最速なのか解っている。圧倒的に解っている。
 そして、それを実行するだけの力が、彼女には、ある。
 ――マグライトが宙に飛んだ瞬間。警備員たちの目が飛来物を捉えた瞬間。
 観夕は懐に飛び込み終わっていた。
 スローモーションのようにくるくると回る光の中で、銀色が流れるように煌めく。
 先頭の男性が息を呑む暇もなく、左から右に銀色の光が流れる。
 警備員は痛みか熱を感じたのか、首を押さえようとして、そのまま倒れた。
 倒れる前に、観夕は彼の右脇を抜けた。先程振るった右腕の遠心力は微塵も殺していない。
 マグライトが彼らの間をくるくると抜けていく。
 観夕は慣性を殺さぬまま――回転しながら後方の一人の至近まで接近。
 その回転のまま先程と同様に、いや、先程よりももっと速度のついた刃を振るい、彼女はまたも首を裂く。
 赤と銀。
 赤の奔流と銀の閃光。
 マグライトの光を受けて、銀色が時折強く煌めく。
 その煌めきは幾度かあったが。
 最後に輝いた時、三人目の首が裂かれていた。
 倒れつつあり、命が失われつつあった二人の死体のせいで見えづらかったというのもあるけれど。
 目にも止まらなかったというのもまた、事実だった。
 一瞬の間があって、マグライトが壁にあたって落ちた。
 ことん、ころころころ、と間の抜けた音が響く。
 静寂。
 寡黙。
 沈黙。
 三つの命がそこに在り、一瞬にして失われた、とは。
 思えないほどの静寂だった。
 合計三つの懐中電灯が床に転がり、自らの主たちの亡骸を照らしている。
 僕は立ち上がって眺めた。
 ふうむ、どうやら最後の一人は特殊警棒を腰に提げたホルスターから抜こうとしていたようだけれど。半ばで止まっているところを見るに、早撃ち勝負は完敗ってところだったみたいだ。残念無念。次回に期待、できないから人生ってのは難しいんだよな。
 取り返しのつかないことほど次のチャンスがない。冗句みたいな話だ。
「終わり、終わり」
 終わった。
 観夕の動きは完全に停止している。どうやら伏兵というのもなさそうだ。相手は素人だろうから、そんな心配もなさそうだったけれど。
 まあ油断大敵とも言うし。たとえプロが相手でも、相手が人であれば彼女は同じことをやって見せただろう。
 まったく、果物ナイフのような刃物で、よくもまああんなに華麗に殺人できるものだ。
 憧れも羨みもないけれど、感心してしまう。
 だからこその《殺人鬼》ではあるんだけど。
 鞄を持ち上げ、足を動かした。連絡がなければ増援があるかもしれない。数が増えたからってなんてことはないけれど、これ以上足止めをもらうのは敵わない。
 手前に転がってきたマグライトを拾い上げ、スイッチを何度か押してみる。
 明滅。
 どうやら問題ないようだ。ものは大切に扱え、と言いたいところだけれど、彼女のおかげで何事もなく済みそうなのだから、文句を言うのは筋違いか。
 床に転がった懐中電灯たちの、余波のような僅かな光。全身闇色で、曖昧な輪郭をした観夕。
 廊下に佇む彼女の横姿。
 これだけ人を殺しておきながら、手に握ったままのナイフの刃先以外には、赤を認められない。
 返り血なしとは恐れ入った。
 凄まじいものだ。
 一応労いの言葉を掛けておこうか。
 でなければ、あとで殴られそうな気がするし。
「お疲れ」
 僕は。
 気軽に。
 肩を叩こうとして。
 動けなくなった。
 僕の首に刃が触れている。
 先程まで他人の首を裂いていたナイフの刃が。
 僕の首に当てられている。
「…………」
 目にも止まらぬ速さとは、まさしくこういうことを言うのだろう。
 予備動作が見えなかった、とかいうレベルではなく。
 気づいたら刃があった。
 一瞬にして僕に振り返った観夕が、深淵を覗いたような瞳で僕を見ていた。
 あとほんのちょっとでも力を入れれば、刃は僕の柔らかな皮膚を裂き、命を暴力で蹂躙し尽くすだろう。
「隠居庵か」
 前言、撤回。
 余計なことはするものではない。
 これは一ミリも冗句なしで。
 混じりっ気なしの本気で、そう思った。
 よく覚えておこうと思う。
「…………」
 顔面蒼白、冷や汗大量生産。現在進行形で大増量サービス中。
 危ねー。
 ナイフの刃先から、警備員たちの血液――ナイフに温度を奪われた、冷たい体液が首に伝わり、垂れた。
 刃が首から離れる。心なしか、ナイフの触れていた場所の感覚が酷く鋭敏になっている。
 彼女はナイフを力強く、しかし丁寧に払う。床に血液が落ちたことを確認すると、シースに仕舞った。血液は錆の原因になると聞いたことがあるのだけれど、そんな扱いでいいのだろうか。
 まあ、いいんだろう。僕よりも扱いに長けた観夕がそうするのなら、僕よりも正しい扱い方を心得ているに違いないのだから。
 僕はポケットからハンカチを取り出し、首に付着したままだった他人の血を拭き取る。服に付く前に、ということで拭いたけど、これはこれで嫌なものがある。
 目で見ると、うぇえ、きったねー。
 死体を見る。
 瞳孔の拡大やら脈やら呼吸やら確認するか、とも思ったが、その必要はないだろう。
 伏見山観夕は《殺人鬼》であり、彼女が何の反応もしないところを見るに、全員ほぼ即死で間違いない。
 ほとんど死というものの実感なく死んだだろう。少し、羨ましく思う。こんなところで死ぬのは嫌だけど。だって、惨殺死体の転がっている、廃美術館で迎える死なんて、嫌すぎる。
 しかもその惨殺死体はあと数時間もすれば嫌な臭いを体に纏うだろう。最低の香水だし最低の冗句だ。
 観夕の殺したものと、誰かの壊し殺したモノ。どちらが惨殺であるかは、冗句として処理する。
 しかし、三人か。一人のために三人を殺す。こっちは冗句だな。まるで。
 まあこのまま放っておいたら次にもまた一人、更にまた一人と殺されていくからね。数十人も手にかけているのに、これからはもう殺しません、なんてこたないだろうからね。
 これから狙われるであろう数十人のために、三人の尊い犠牲を払ったということにしておこうじゃないか。
 恨むのなら僕らより、猟奇殺人犯を恨みたまえ。
 だいたい殺したのは僕じゃないしな。
 恨んでもいいけどそれなら観夕だけにしてくれ。冗句なしでね。
 あとは帰路につくのみとなったか。さっさと脱出してしまおう。
 観夕のおかげで大手を振って入口から正々堂々と出られるのだから。
「けどさぁ」
「何」
 薄明かりの中で、観夕は胡乱げな表情をこちらに向けた。
 うーん。
 徒歩、なんだよなぁ。ここまで。
 こんな田舎まで。
 徒歩二時間。
 疲れた体。
 深夜。
 歩く気力、イズ、ゼロ。
 うーむ。
 帰らないわけにもいかないし。
 ま、いっか。
「疲れた。帰ろう」
 僕は歩きだす。
 えーと。確かエントランスはこっちだったよな、と。
 ややあって遅れた観夕が、とてとてと小走りで着いてきた。
 そしてその勢いのままに、僕の後頭部を殴打した。
 殴られた。
 グーで。
 痛い。
「なんでだ」
 痛みに思わずその場でしゃがみこんでしまった。
 彼女は傍を通り抜けながら言った。
「隠居庵は何もしていない」
 痛みが駆け抜けていったあともじんじんと響く頭をさすり、立ち上がる。
 ……まあ、いいか。


了。